飛翔

日々の随想です

クワトロ・ラガッツイ

クアトロ・ラガッツィ 下―天正少年使節と世界帝国 (2) (集英社文庫 わ 13-2)
若桑 みどり
集英社
江戸初期の殉教者188人にローマ法王庁カトリック信仰の模範となる信者を讃える「列福式」(れっぷくしき)が日本でははじめて長崎で開催された。(2008年11月24日)

福者となるのは天正遣欧少年使節の一人だった中浦ジュリアン(長崎出身)や日本人としてはじめてエルサレムを訪問し江戸で殉教したペトロ岐部(大分出身)など殉教者188人。法王代理のジョゼ・サライバ・マルテイン枢機卿列福を宣言。
江戸時代に四度のキリシタン大弾圧を受け、原爆投下の受難をした長崎市の浦上地区。信仰を貫き殉教した四百年前の人々の想いがこれで晴れたのだった。

このブログでも取り上げた天正遣欧少年使節
若桑みどり著『クアトロ・ラガッツイ』。
16世紀の大航海時代キリスト教の世界不布教を目的とした宣教師「伴天連(ばてれん)」と呼びれる人たちが日本にやってきた。
彼らは西欧とは異なる高度な文化を日本に認め、時のキリシタン大名に日本人信徒をヨーロッパに派遣する計画を持ちかける。
それが天正少年使節」の四少年(クアトロ・ラガッツイ(少年)である。

派遣されたメンバーは、「伊東マンショ「千々石(ちぢわ)ミゲル」、「原マルチノ中浦ジュリアンの4人の少年。
彼らはゴア、リスボンマドリードフィレンツェをへて、1585年ローマに入り、教皇に謁見。
しかし、1590年に帰国したときは、すでに豊臣秀吉伴天連追放令が出た後だったキリスト教が禁止されている中、4人は聚楽第で秀吉に拝謁。
ヨーロッパの珍しいものを贈ったり、楽器を演奏した。
その後、弾圧により「千々石ミゲル」は信仰を捨て(棄教)「伊東マンショ」は病死「原マルチノ」は、マカオに追放された。
ただ一人信仰を守った「中浦ジュリアン」は、捕らえられ処刑された

悲劇的な末路をたどった彼らだったが、16世紀の世界をその足で踏み、広いヨーロッパを見、多くの人々とあったのである。彼らは日本に活版印刷機と印刷術をもたらし、逆にこちらからはヨーロッパ(キリスト教世界)に日本の知性、文化を知らしめることができた。戦国末期の日本と帝国化する世界。おびただしい資料を調べあげ咀嚼した上での若桑みどりの最高傑作『クアトロ・ラガッツイ』

※この若桑みどりと著書『クアトロ・ラガッツイ』に敬意をこめ、逝去された若桑みどりを偲んで30首(『短歌研究』9月号)を捧げたのは松村由利子だった。

ジョン・レノン中浦ジュリアン清らかな祈りの半ばにて殺されき
・魂の翼もがれて生きること痛まし千々石(ちぢわ)ミゲルの棄教
・棄教せしのちの暗にローマ使節たりし記憶も深く蔵(しま)われ

こうして400年の歳月を越えて若桑みどり天正少年使節」の四少年(クアトロ(4)・ラガッツイ(少年)を書き、松村由利子が『短歌研究』9月号で短歌30首を捧げたことは意義深いことであった。

何の罪もない人々が次々と殺され殉教していった事が400年後の現在、晴れて福者の位を授けられた。

人間でも動物でもこの世に生を受けたその「全存在」のかけがえのなさは、はかりしれない。
その宇宙にもまさる存在が、ある日すっといなくなるという欠如と喪失はあまりにもむごく大きい。
それが他者からの殺戮だったとしたらなんとむごく罪深いことか!

江戸初期の殉教者188人が聖人に次ぐ福者の位を授けられたことは大いなる幸いである。
AX