書評:幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記

大変面白い本である。
アイドルへの関心が高まり、様々にアイドルを語る本も出版されているが、アイドルを「アイドル」という語の使用以前の芸能と結び付けて、「アイドル」が現代特有の現象ではないことを明らかにしてくれる、今までになかったであろう本。こういう本を待っていた。筆者のお名前は聞いたことがなかったが、笹山敬輔さんという方で、文学博士で現在はなんと製薬メーカー(内外薬品)の東京支社長をしているという。参考・ http://mag.sendenkaigi.com/kouhou/201407/cat444/002544.php


筆者は「アイドル」に、受容者側の在り方に着目した定義を当てはめる。すなわち、「若い男性を中心に、大衆が熱狂的に支持する人物」ということになる。こうすることで、1960〜70あたりを起源とすることの多い日本のアイドル史は、「さらに遡ることができる」。むしろ、「今日的な意味での「アイドル」に近い存在は戦前にこそ容易に見出すことができる」という。ここで言う「今日的な意味」とは、「現場」に重きを置いた、「接触」を大きな訴求力として人気を博している、一言で言えば「会いに行けるアイドル」という意味である。


さて、この本の特徴や、この本で述べられていることを簡単にまとめると、以下のようになる。
まず、特徴として、現代のアイドルファンが使うような用語をそのまま使っている。これは意図的にそうしているのだが、「ヲタ」はいいとして、「地蔵」といった、多分アイドルファンでなければ知らないような言葉も注釈なしで使われる。こうした表現をすることで(つまり昔の事象に現代の用語を使用することで)、今も昔も変わらないということを印象づけたいのかもしれないが、どうしても違和感はあった。
それはともかく、本書で述べられていることを1点に集約すれば、「昔から「アイドル」はいたよ」ということであり、その内容は大きく3点にまとめられる。
1.今も見られるアイドルに対する典型的な批判、つまり容姿ばかりで歌や踊りが下手であるというような批判や、客に対して媚びているというような批判は昔からあったということ。
2.「ペラゴロ」、「ドースル連」などと呼ばれる、今と変わらないようなどうしようもないヲタは多数いた。その多くが学生であり、勉学に励まずにアイドルに現を抜かしているということへの批判があったこと。
3.作家や評論家といった知識人がアイドルについてあーだこーだ言うのは昔も変わらなかったということ。


詳しくは本書をあたってほしいのだが、いくつか本書で挙げられている事例を紹介しよう。第一章は娘義太夫の竹本綾之助が主人公である。娘義太夫は「歌とせりふとナレーションとが渾然一体となった三味線音楽」のことである。
竹本綾乃助は十二歳でデビューした。「アイドルのデビュー年齢や活躍する年齢は明治の頃から変わらない。多くが、十代半ば頃には人気者となっているのである。」(P17)
熱心な学生ファンがいて、「ドースル連」と呼ばれた。これは曲のクライマックスで一斉に「ドースル、ドースル」と掛け声をかけたことに由来しているという。ちゃんと義太夫を聞いていないというお叱りが、当時からあったようだ。推しメンの自宅までついていくなどする、迷惑ヲタもいたようだ。
義太夫は、曲のクライマックスで、頭を振って熱演し、わざとかんざしを落とすというような釣り行為もした。「ファンたちは我先に争って拾おうとした」。
容姿は娘義太夫の人気の第一条件であり、太夫の目線はファンにとって非常に重要な演出であった。
今の2ちゃんねるにあたるものとして、新聞の投書欄が同様の機能を果たしていた。投書欄で「娘義太夫とファンの関係をけなし、彼女たちの容姿を揶揄し、手紙を無視されたことへの怒りをぶつける」(P27)ということもあったようだ。


第二章では奇術師、「松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)」が紹介される。容貌がよく、釣りテクニックにも優れた演者であったようだ。
天勝一座の演目は奇術に限らず、歌劇も多く含まれていた。「天勝一座のプログラムの雑多な構成と猥雑さ」が魅力ではないかと本書には書かれている。


第三章は浅草オペラが扱われる。浅草オペラは「アメリカ系ミュージカル・オペレッタ・ナンセンスコメディ・グランドオペラ、この四つの要素のごった煮であ」り、「「芸術性」などというものを無視した、浅草らしい何でもありの芸能だった」という。谷崎潤一郎曰く、それは「多少の廃頽的要素と異国情調との加味した小学校運動場的気分だった」。そして、河合澄子という歌もダンスも下手なメンバーが人気を集めた。
これはアイドルを考える上でも面白いことで、アイドルは芸能者でありながら、芸の本質とか技能というところとは別のところにも大きな魅力を有している存在であるということだ。
熱狂的な浅草オペラヲタは、「ペラゴロ」と呼ばれ、毎日劇場に通って、歌やセリフが聞こえないほど、推しメンの名前を叫んだ。旗を振ったり扇子を翻したりということもあったようだ。ブロマイドが販売され、「腋の下」と呼ばれるようなフェチ写真まであったというから面白い。


第四章は初期の宝塚。
「宝塚が成功したのは、少女歌劇というジャンルを生み出しただけでなく、地域に根付いたかたちで劇団を結成し、レジャー施設と一体の運営によって収益を確保していくというビジネスモデルを開発することにあった」。(P145)
ここで面白かったのは、宝塚をまねて、日本各地にご当地少女歌劇が生まれていったこと。今で言えばAKBの影響下で乱立していった地方アイドルということになるだろう。宝塚は清純なイメージを崩さなかったが、たとえば「大分の鶴見園女優歌劇で上演されたレヴュー『夏の踊り』は、浴衣や海軍のセーラー服で踊った後、フィナーレでは水着姿で登場した」というように、手っ取り早く売るには性的な魅力に訴えるというのは今も昔も変わらない。
またこの章では評論家青柳有美が瀧川末子というメンバーを推していて、瀧川末子を「我が瀧川末子」と表現し(まさに「俺の〜」と言うアイドルファンと同じだ)、他のメンバーを散々にdisっている様が紹介されている。


本書は面白いところが多すぎるので、つい紹介しすぎてしまった。アイドルに興味がある方はぜひ読んでほしい。先に述べたように、読めば読むほど、昔からアイドル的な存在がいて、その強い魅力にやられてしまったどうしようもないファンもいて、評論家や知識人もやいのやいの語っていた、ということがよく分かる本である。(できれば、本書のどの記述がどの参考文献に依拠したものなのか、詳しく示してくれるとよかった。各章に書かれている芸能について、より深く知りたくなったので。)


さて、昔も今も同じだ、ということからいま得るべき教訓は何か、ということを最後に考えたい。というか、本書終盤の記述を自分なりにまとめ直したい。
義太夫も、天勝一座の公演も浅草オペラも、当時熱狂的な人気を博しながら、正当な芸能史の中に位置づけられずに来た。逆に言えば、何でもありの「ごった煮」で、四の五の理屈をつけなくても、知識がなくても楽しめるからこそ大衆の人気を獲得できたということができるかもしれない。その分かりやすさの一つとして、「性的な魅力」ももちろん含まれた。だから芸能の権威を信じる者からすれば、そういった正統的でない芸能やその芸能に熱狂する者は批判の対象となっただろう。
これは悩ましい問題で、つまりもっとも多くの人を引き付けている現象が、その「ごった煮」性のためにどう論じていいか分からない、論じることが難しいということにもなる。その難しさから逃げて、単純にアイドルを性欲とか恋愛とかの文脈に収斂するものとしてのみ扱うのは、やはりアイドルの魅力を理解しているとは言えまい。理屈抜きに楽しめるもの(わかりやすいもの)が大衆の人気を獲得するが、それを理屈で扱おうとした途端にわかりづらくなってしまうという問題がある。
また、「アイドル」がどうしようもない人間を生み出しているのも確かだが、一方でどうしようもない人間の欲望の受け皿になっていることも否めない。本書の中にも、「アイドル」によって救われた者の声が引用されている。この意味で、やはりアイドルには宗教的機能があると考える。
うん、これ以上考えが進まない。ともあれ、アイドル(的な存在)が持つ、多くの人を熱狂させる力については、単純化することなく、真摯に考えていくべきと思う。少なくとも、100年の間日本で繰り返し現れてきたアイドル的現象であるから、そこには少なからず普遍性があると考えてよいのではないだろうか。