地震も火山もまったくわからないのでは?

1/24の日経新聞によれば「白根山の23日の噴火は気象庁や火山学者にとって想定外の場所で起きた」とある。
なにしろ本白根山の最後の噴火は約3000年前ものことというから、予知できないのは無理からぬこととはいえ、この「想定外」という言葉に、腑に落ちないものを感じる。
というのも、「想定外」というのは、何となく「ほとんど90%以上も分かっているが、今度のは余りにも稀なレアケースなので想定外だった」という風にとれる。
もともと、地震にしても火山にしても何にも分かっていないのではないか。御嶽山の噴火にしても、先般の東日本の大津波にしても、あれほど大きなものでも、ぜんぜん予知できていないのだから、「想定外」などと格好つけて言うのではなく、「全く判りません」と謙虚に言ってくれたほうが、無用な混乱を起こさないような気がするのだ。

というのも、思い出すのは口の永良部島の全島避難のことだ。一発目の大噴火があり次の噴火について、大学の先生が「ゼロではない」という。しかし「ゼロではない」といわれれば、行政責任者は次に来てもいいように、つまり必ず来るかのように想定して過大な準備を強いる。「ゼロではない」がいつの間にか「100%」に変質してしまい、全島避難を島民に強制した。しかし実際はその後2年間全く噴火がなかったのだ。まったく判らないのだから、全島避難などという強制ではなく、自己責任で島民一人ひとりに任せたら、無人島となったあんな無残さを見なくて済んだのではないかと思う。
 
もう一度当時を振り返ってみよう。新岳から噴火し、噴煙が火口から約10,000メートルの高さまで達したのは2015年5月29日9時59分のことだった。そして全島避難緒命令が下された。「ゼロではない」が「100%」に変質した瞬間である。それまで、地震予知の専門家で誰も警鐘を鳴らした人もなく、余りに突然のことだったので、全島民が身支度を整え、 同島本村港より屋久島町営フェリー太陽にて避難先である屋久島に向け全島民避難したのは15時40分だった。つまり6時間近くも経っていた。しかもその間に、向江浜地区で犬の散歩をしていた男性が一人やけどをしただけだったのである。

 噴火をそれ程恐れるなら人口は137人( 世帯数82戸)しかいないのだから港に中古の船を一漕待機させておけばそれで済むのではないか。それこそ今度こそは、せいぜい2時間もあれば全員集合できるよう準備万端整えておけば、前のことを考え併せれば人に被害が及ぶとは考えにくいのだ。こんなバカなことを繰り返していたら、この島も無人島となり、どんな国の人間が住み着くとも限らないことになるかもしれない。