「ゲーム脳」雑感

otsuneさんのゲーム脳批判の有効性に関する記事を読んでの感想。


void GraphicWizardsLair( void ); // 子供からゲームを取り上げたい大人たちに「ゲーム脳は科学的根拠が無いトンデモだ」と指摘しても、彼らには根拠は重要ではないから心に響かない

批判している科学者や、このサイエンス記事担当記者さんは「科学的におかしいのだから、それを無根拠に信じる事がおかしいのだ」という視点で説得しようとしているが。それはネオ・ラッダイトの大人たちは聞く耳を持たない。彼らは科学の厳密さとかサイエンスの矜持なんてどうでも良くて、単に自分たちの嫌悪感である「子供がゲームばかりするので嫌だ」という欲望を通したいだけなんだから。



ゲームは麻薬かどうかという部分は別として、嫌悪感というか不安感という部分で、僕もこの意見と似た様な感想を持っていたので、凄く共感を覚えた。


前に、妻と海外旅行の話をしていた時に、僕が非欧州のある国に行きたいと言ったら、妻は治安が悪いからそこは嫌だと言った。ガイドブックでもそんなに治安が悪いとも書いてない国だったから、僕は結構長く色々と説明したんだけど、妻は「でもやっぱり怖い」という返答。


その時は、「『でも怖い』んだったら仕方ないね」という話で終わったんだけど、これってゲーム脳批判と似た様な話だと思う。親御さん達に「ゲーム脳は非科学的だ」という話を幾らしても、おそらくその人達の多くは、「でも、やっぱり子供がゲームばっかりするのは不安だ」という反応で終わってしまうのではないだろうか。


スチャダラパーが、10数年前に「ゲームボーイズ」の中で、「他愛ないありきたりのくだり」として、「ゲームはすでに遊びではない/もうひとつの現実が存在/虚構と現実区別つかない/このままじゃ子供達が危ない」と歌っているけど、「ゲームばっかりして子供は大丈夫なのか」という親御さんの不安は、それこそ黎明期からあった。


「『ゲーム脳』が出てきたから親御さんが不安になった」というよりは、「元々ゲームばかりする子供に不安を感じていた親御さんが、その不安を科学的に説明してくれそうな『ゲーム脳』に飛びついた」のだろうから、いくらゲーム脳の非科学性を主張したところで、根本である彼らの「ゲームばかりする子供に対する不安」を取り除くことは出来ないのではないかと思う。


デタラメな「ゲーム脳」言説は早く廃れてほしいと僕も思うけれど、仮にそうなったとしても、また同じ様な親御さんの不安を元とした「脳内汚染」系論議はまた出てくるのだろうし、事件や若者の変化の原因を安易にゲームのせいにする風潮はそうそうなくならない様な気がする。