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西加奈子 『サラバ!・上下』(小学館)

 西加奈子は初めて読んだ。ウィキペディアには、『ぴあ』のライターを経て作家となり、2013年『ふくわらい』で第1回河合隼雄物語賞を受賞したとある。この『サラバ!』でも主人公は長らくフリーペーパーのライターをして生活費を稼いでいる。西加奈子自身、チケット販売最大手の雑誌社にいて、出演者のけっこう奥底に触れることもしながら、ノリのいい記事をバンバン書いていたのだろう。その業界では早くから、彼女の記事の前向きな目線に高い評価があったと思う。
 また、河合隼雄物語賞を受賞しているということは、人が前へ向かおうとする姿勢は、「物語」を紡ぎ出すことでしか作り出せないことを、彼女は若くして体得していたのではないか。その「物語」は自分自身で紡ぎださなければ自分を得心させることができないし、周囲の人たちとの協働作業で織り上げた「物語」でなければ、他人が見向きもしない自己満足の童話に終わっただろう。

 『サラバ!』の語り手「僕」のまわりには、ごくごく親密な人たちばかりなのだが、おかしな人たちがあふれている。
 まず「僕」の姉。読者は下巻半分を過ぎるまで、この姉がなぜこんなに狂っていなければならないか、よく分からない。本人が真剣に悩むのは結構だが、真面目に悩む狂人はいっぱいいるのだから早く入院させた方がいいと、読みながら腹が立ってしまう。
 大阪の大手カメラ会社からアラビアの石油会社に、仕事を百八十度変えてしまう父。駐在先では豪邸と高い給料が支給される。母は大喜びで社交生活を満喫するが、父はそんなものには見向きもしない。この父と母の間には過去に大きな秘密があり、父が全く違う仕事に就いたのものそのせいなのだが、それは下巻の最後になってやっと明らかになる。
 大阪に実家近くには「僕」の家族が一時住んでいたアパートの大家さん・「矢田のおばちゃん」がいる。新興宗教の開祖のようなオーラがあり、借金地獄に落ちた家族や落ちぶれた元やくざ、亭主に逃げられた女などのよろず相談に乗っている。「矢田のおばちゃん」の教え・諭しは効能があるらしく、自宅に作った「サトラコオモンサマ」の怪しい祭壇には御礼の金品が山のように積まれるようになる。おばちゃんのオーラは狂ったような姉にも深いところまで届き、この二人の感応がやがて小説全体の大団円につながっていく。

 『サラバ!』は空間的にも時間的にもスケールの大きな小説である。「僕」は住まう場所は大阪、テヘラン、大阪、カイロ、東京、カイロと数年ごとに変わるのだが、どの街でも僕と家族はしっかり生活している。この小説ではどの街も、ただの滞在先として表面だけが描かれるのではない。その間に、イランのホメイニ革命、バブル景気とその崩壊、神戸大地震地下鉄サリン事件、ニューヨークテロ、そして東日本大地震アラブの春があり、「僕」と家族、親しい友人がそれらにしっかり巻き込まれた。作者がエピローグで書いているように、「ここに書かれている出来事のいくつかは嘘だし、もしかしたらすべてが嘘かもしれない。」 しかし西加奈子が多分渾身の力を込めたであろうこの力作を「絵空事さ!」と片づけてしまう人は、自分が絵空事に満たされていることに気づかないだろう。

 書店でこの小説を買った一週間後、『サラバ!』が直木賞をとったとTVが言っていた。いま読み終えてあらためて思う。芥川賞直木賞の違いとは何なのか。漱石の『吾輩は猫である』は、当時もし芥川賞直木賞があったなら、どっちをとるのだろうか。