持田哲郎(言語教師@文法能力開発)のブログ

大学受験指導を含む文法教育・言語技術教育について書き綴っています。

英語の人称代名詞と対応する日本語の問題

直訳が難しく感じられるとき

中村(2003)は、学校英文法で例文に与えられている訳文が便宜上の試訳であって実際に使われる日本文とは似て非なるものであることを学習者に教えるべきであると指摘している。

  • I'll buy you this shirt.
    1. 私はあなたにこのシャツを買うだろう。
    2. このシャツを買ってやろう。

例文に対する訳文が実際の日本語とは違うという指摘は黒川(2004)でも見られる。しかし黒川が学習者にとって分かりにくいという現象面の指摘にとどめているのに対し、中村は英文の構造を理解させるために直訳の提示は必要であるという。直訳を示したうえで、その訳文が完全な和訳文ではないことを徹底させるべきというのが中村の主張である。
こうなると、日本語を介した明示的文法指導において、人称代名詞を教える際に、現実の日本語とは違う文を「直訳」として示すことが妥当かどうかということが問題になってくる。英語の学習過程で触れる日本語が、学習者が日常で使う日本語に転移する可能性が否定できない以上、このような直訳を避けて教えることができれば、それに越したことはない。安藤(1986)は談話の当事者を表す人称代名詞は表現されないのが日本語の規範であると指摘している。この指摘に従えば、「Iは『私は、私が』という意味です」を教えていたのを、「Iは自分のことを表すので、ふつうは日本語には訳しません」を教える方が適切ということになる。

日本語と英語の人称代名詞

言語過程説の立場から英語の文法現象を分析する宮下(1982)によれば、人称とは話し手と対象との間の関係であるという。すなわち、一人称は話し手と話し手自身の関係、二人称は話し手と聞き手との関係、三人称は話し手と話題の事物との関係を表すということである。英語では定形動詞は主語を持たなければならないという強い構造的制約があるため、場面や文脈から了解できるかどうかにかかわらず、話し手自身をI、聞き手をyouで表さざるを得ない。この場合、Iやyouはその場面において話し手と聞き手という関係を表すだけで、それ以上のことを表すものではない。
しかし、日本語の場合はそうではない。たとえば家庭内では年少の者は年長の者に対して「あなた」などの人称代名詞で呼びかけることはまずない。「おやじ」「ママ」などのように親族概念を表す言葉を使うのである。逆に年長の者が年少の者に対しては、「あなた」「おまえ」と呼ぶことができるが、「息子」「妹」と呼ぶことはない。
このことからわかるのは、英語におけるIやyouと比べて、日本語での「わたし」や「あなた」の使用頻度はきわめて低く、「I=わたし」「you=あなた」では言語事実を適切に捉えられないということである。こうなると、入門期に英語の基礎的な知識をどう提示するかという問題は、従来考えられている以上に複雑な問題となってくる。*1

参考文献

英和翻訳の原理・技法

英和翻訳の原理・技法

英語文法批判―言語過程説による新英文法体系 (翻訳の世界選書)

英語文法批判―言語過程説による新英文法体系 (翻訳の世界選書)

ことばと社会 (中公叢書)

ことばと社会 (中公叢書)

*1:「別に深く考えなくてもいいじゃん」という意見もあると思うが、学習者にとって利益のない指導法や学習法を排除していくべきであることは明らかである。日本語を介した英語学習は日本語を利用し、日本語力の強化にもつながるものでなければならない。そのように機能しないのであれば日本語を介して教える意味がないことになる。