panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

クラシック愛好家、クラシックを聴かず

  バンコクには3つほどの苦境楽団があり、って交響楽団と書いたつもりが、ローマ字入力なので間違った。でも間違っていないのか。どこも赤字だろう。・・・我輩は中1の4月からの本格的クラシック愛好家である。これまでに、大体の曲は現代音楽を除いて耳を通した(?)。前古典派を偏愛している。誰も評価しないので、よけいに。
  クラシックは美術の尊敬する教師から教わった。しかも好きになることにした。でも何を?。、、、教わるためには、教わることを承服するということが必要である。つまり教育は、教える人物の下にあることの隠れた承認を前提とする。その人の下にあることを厭わぬ意欲がいるわけだ。尊敬というのは、だから教育の最初の前提である。逆にいうと、人を尊敬できるだけの判断力や知性がないと、人は教育を真に受けることすらできない。このへんの呼吸が難しい。普通尊敬できる人間が少なくなってきたから尊敬するという風習がなくなってきたと思われている。でも逆なのではないか。私はこの美術教師を比類ない人物だと思ってきたが、多くの友人たちはそうは思ってこなかったかもしれないからだ。でも長いこと教育を受けてきた人間である我輩はその人物が大変な人物であることを「少なくとも比較の観点から」はっきり確信している。ともあれ、どんな立派な教師もアホな、といってはいけないが、バカな、って同じじゃね?学生を教えることはできない、ということは否定できない。
  でも、考えてみると、学生としての我輩は、この教師以外にそのことを承服したことは、わずかな例外を除いて、ほぼなかった。つまり自分がバカだったんだね。その結果、長い教育時代は実質、独学だった。アカデミズムの端っこにいながら。でも、だから、クラシック音楽は、私にとって、もっとも大切な教育的財産なのでもある(勿論美術も習った。美術の教師なのだから。我輩は美術もある程度は知っているわけだ)。
  これまでどんな時も、クラシックを1か月も聴かないで過ごしたことはない。大事な時はとくにそうで、博士論文を書いていたときはクラシックと一体化していた。しかしバンコクに来て一か月以上、全然聴かない。FMの局は恐ろしいほどたくさんあるが、クラシックに行きつけない。ロンドンの時は、不肖、行って2週間後には、大学近くのロイヤル・フェティヴァル・ホールの常連だった。貧しい給費金から(といってもS席800円くらい。学生割引は充実イン・イングランド)。・・・でもあの額で日本の国費留学生といえたのだろうか。考えると血圧があがる。
  でも今は聴けないことに不満なわけでもない。すべてを聴きつくした結果(傲慢じゃね?)、好きなものは分かっているし、それがおいそれと増えたり減ったりするわけでもないことを知っているからね。聴かないでいながら、頭のなかでは鳴っているともいえる。
  そもそもタイにはいわゆるヨーロッパ近代と共有するものはあまりない。本も大学購買部にはいろいろあるが、あとどこで買うか依然謎だ。エキナカの書店に山のように人の群がる国から来ると、それも最初は清々しいと思うが、3カ月目に入るとどうなってるのかと訝しさ(いぶかしさ)がつのる。本を読まない近代社会は想像できない。それは近代社会ではなく、問題社会だ。クラシックのコンサートもやるところはごくごく限られている。音楽まで西洋化する必要はないとはいえ、日本人がどれほど血の滲むような努力を払ったかと思うと、楽して手にはいるほど近代は甘くないというおせっかいな気分になる。でも近代の思想的・精神的基盤をバイパスして近代の成果を受け継ぐことは可能だ。まさにこれが、つまり精神的源泉にさかのぼって近代を極めなかったことが、戦後の近代主義者が批判してやまなかった、近代日本の病理とされるものではあるのだが。でも十分可能だと思う。タイがそういう社会なのかどうなのかはよく知らないが、そういう問題関心自体がない可能性もある。近代を回避して超近代を実現しているとか。ふふふ。
  というわけで、そろそろ、あることの学習も終わり、ない事柄への不満疑問がわき出す9月である。・・・昔書いて下書きにしたものを、最後の一節を今日加えて、公表する。
  ヴェトナムはどうだろう。迫りくる名物バイク軍団。バイクの運転のできないヴェトナム人はいるのか。