panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ヴェトナム・コーヒーとタクシー

  昨日今日とT大に行かなければならない(朝なんで、行ったとは書けない)。ちょっとした問題発生で、2日連続行くとさすがに嫌になる。って傲慢?。T大は旧市内の観光地区だから面倒だ。きちんとした格好でオープンバス(?)に長時間乗ると汗まみれになるし、ボートも朝早いとラッシュだ。フアランボーン駅に出てタクシーですなあ。
  そういえば昨夜の宴会でタイ語本屋があるという話になった。なったというか聞いたわけだが。そしたらあのエンポリに入っているという。え?。が、タイ語のできる、タイ人と結婚している二人はタイ語の本は読まないからと場所を特定できなかった。それと、本を読むタイ人もいるとのこと。そりゃいるんでね?。でも雑誌以外を読むタイ人に会うにはどこに行けばいいのか。日本語を読んでるタイ人にはいっぱい会ってるんだが。でもタイ人には聞けないでしょ?。失礼になるかもしれない。聞きたいのは、本を読む国民的習慣があるのかないのかである。勿論一定の階層以上でいいのだが。とはいうものの、日本でも、一定レベルの大卒でなければ、まともな本は読まないかもしれない。普段、外でも家庭でも、院卒の、専門的な本を読むタイプの人としかつきあいのない人間としては、そこのところがよくわからない。こちらは仕事で読むのであって、仕事と関係なくどの程度、読書という(近代的)習慣が定着しているのかが知りたい。
  それはそれとして、ヴェトナムはコーヒーが有名で何をどこで飲んでも旨い。フランスの影響であるが、タイではスタバやブラックキャニオンなどがかろうじて普通の味を出しているだけで、日本と同じ感じ。室内的快楽だ。だらか路地で座ってとか、カフェで空気を感じながら飲んだりする爽やかさはあまりない。暑いのはタイの方のように感じたし、ホーチミンでは空の下のコーヒーやビールがことのほか解放感があり、今となればなつかしい。しかし室内で整った環境で飲んでいるなら、どこでも同じだ。ヴェトナムの解放感は、旅行というのを割り引くと、近代化の程度の問題であろうか。しばらくするとヴェトナムもタイのように、つまりある種の日本のようになるのだろうか。でもそのあかつきに、ただ四季暑いだけの日本が現出するのでは笑うに笑えない。
  今日乗るタクシーだが、ヴェトナムはタイの半分くらいの値段だった。物価からいえば、タイのタクシーが圧倒的に安いだろう。バンコクはタクシーが山のように走り、かつ乗車している。見渡す限りタクシーだらけで、かつ人が乗っているのである。渋滞は便利なはずのタクシーによって生じているとすら思える。タクシーに乗るのは億劫だ。もう少し料金をあげる必要があるのではないか。あれで生活できるとは思えない。悪徳タクシーはその意味で必然である。階層や地域の2極化が現状を支えているようだが、見ていて非常に嫌な気分になる。
  ヴェトナムはハノイホーチミンと南北に大都会がある。タイは完全にバンコク一極なので、新幹線などの近代的インフラ整備には向かわない。全土の均等な発展という理念も生じないだろう。むしろこの点で、ヴェトナムはなんだかんだと社会主義の難点をいわれながらも、南北を結ぶ全土に同じような近代化の恩恵をもたらす方向に進むのではないかと思う。中部には古都フエもある。タイはまさに今でも伝統的な曼陀羅国家なのではないかと思われる。曼陀羅国家は東南アジアの統治システムをいう専門用語で、中心から力が放射して最後の国境なるものがない国家のことである。地域をいくつかの曼陀羅の円が支配する。タイという地域はバンコクという曼陀羅が統括し、縁に行くに従ってその力はなくなっていく。タイに第2の大都会がないということを問題視した議論は知らないが、不健康な地域開発(むしろ地域開発の不在)をもたらす可能性は低くないように感じられる。
  シェラトン正面左横で飲む。美人のおばさんが作っている。一等地の小道だからか清潔感が漂っていた。