panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

仏教社会主義王制に敗れる------第3日目朝から

  ただいまシェムリアップ。ようやくホテルの部屋に入る。空くまで2時間待つ。・・・今朝は大変だった。結局、アジアに負けたということか。ボートは中止となったのである。船着き場で知る。トンレサップ湖は嵐という理由。歌い手グループではない。ストームである。おー、アジアですなあ。いや、仏教社会主義王制ですか。
  でも非常に怪しい。だってそこに来てる客が2人だけなのだ。我輩と白人老人。皆キャンセルしたというが、こっちは昨日予約したのである。もっと人がいておかしくないだろう。な、何をされるのか。きゃ!。旅行社の人に電話して、様子をうかがうが、らちがあかない。結局、定刻を過ぎ、やってきたただの乗用車でシェムリアップまで来たのであった。旅の感じなし。ただ近所の車で来ましたという風情。というか風情がないのだが。しかも早く着き過ぎ、食事して来いと云われ、ふらついてから、今部屋で、今日最初のブログを書いている。あー、疲れたので、もう今日はアンコールワットには行かない。
  しかし、気違いじみた運転であった。カンボジア人の秘められた狂気を垣間見る思い。途中でドライバーの奥さんが乗ってきたが(!。なぜに?)、穏やかなクメール顔で若干ながら煽る。結果は、あらゆる車を追い越して、5時間かからずに着いた。バスは通常6時間半くらいなのだから、オーマイ・カオダイ!。死ぬかもと思ったろう、助手席に座った老人は。後部座席の我輩は骨折程度かと内心安堵していたのだが、申し訳ない。でも年の順ということもあるので。あんど、マイナス1弱。
  我輩は、これほど美しい田園風景を見たことはないように思う。とくに中間くらいのコンポントム以降は、天国もかくあるや、といった麗しい景色が続く。しかしそれを見ているのは、狂気のスピードで進む車のなかからである。映画スピード、パートⅢなのだ。自分が出演するとは思わなかった。その間、この世の天国をみつめていても、抒情とかうっとりとか、至福とか来てよかったとか、そんな悠長な気持ちは一切浮かんでこない。一蓮托生とか、ここで会ったが百年目とか、これでもかこれでもかとか、後は野となれ山となれとか、欲しがりません、勝つまではとか、走馬灯状態でバタバタ渦巻くだけだ。あー、クメールルージュ的心性といったら叩かれるんだろうなあ。バシ!痛い。考えれば、これは座ったまま、クラビが再現されているともいえる。ついて回るのか、クラビは?
  実は、この写真は降りて撮ってる。交通事故に遭遇したのである。後にアップ。でも、周りは牧歌的な家屋である。延々とこういうのが続くのである。信じられないくらいの見事さである。