panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

まだ書けるうちに

  昼を食いにバスに乗るという試練。あああ、エンポリの灯よ、いつまでも♪♪♪。でもたまには行くからね。・・・今日もアソークまで出かける。思う存分食べ、、、たいが、一人だと限界がある。メイン一品と飲茶2品くらい。これに中国茶で満足である。中国国家のやりたい放題が報道されているが、この悪しき隣人がつくる料理がなければ、日本人が海外で欲求不満になる確率は飛躍的に高まるだろう。崩壊してもらっても困るが、繁栄して傲慢になるのも困る。やっかいな国だなあ。この居直りぶりは自信から来てるようにも思うが、歴史的コンプレクスが実は根本的原因である。と一部の歴史学者は云っている。だから、要するに、簡単には直らない。
  今日はまったく暑すぎず、つまり寒いくらいで、風邪気味だ。これは初めての経験だ。力をつけるため、ぷー氏からもらった最後のカレーを食べる。うーーーん。ラオスへのさらなる期待が高まる。でも期待はすまい。そもそもいい年して、バックパッカーの王道みたいなのにころっと来ている、と批判されているのだ。、、、悪かったね。ふん。青春のバックパッカーって、ありきたりじゃん。そういう方々は今や日本の会社で嫌なオヤジになってるって。ロックやギターやって差別化図ってた高校生が、たんなる道徳野郎になってるだろうが。あれと同じだ。やってることが自己満足だから。流行に乗っただけだから。我輩、この逆向きパッカーの方が、パカではあるが、逆境に逆らう真のロッカーだ。って。・・・ほんとはバロッカー(バロック音楽愛好家)である。でもロックはもう免罪符なんですよ。死ねよ、ドラゴン。気づけよ、日本人。遅いか。パッカーはいろいろある。ほんとはね。
  そこでバンコク在住者の類型を思い浮かべ、一種の一般論を考えた。途中日本に2年ほど帰り、やはりやって行けないと思ってまたバンコクに来たというのが典型だが、普通、日本人は日本にそれほど馴染んでいない。そう思っているのは唾棄すべき俗物たちだけだから、ここでの考察からはオミットする。だから日本人は大なり小なり違和感を抱えて生きているのだ。ところが違和感即タイその他というのが、タイにいる人々なのかもしれない。この短絡さは一種の放浪癖なのではないか。漂泊といってもいいが、定住と漂泊とに分けると、漂泊的人間という類型があって、ある種のきっかけでやってきては定住する。漂泊型定住者。この論点は単純だが、もっと類型を細かく論じることができる。が、今夜は風邪気味だから。またいつか。でも一種の衝動としてやってくる。としたら世が世なら、大陸浪人的類型になったのかもしれない。今のバンコク定住者は。こわ!
  これがアソーク