panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

バレンボイムを途中まできく−−−−−−−−−−−−−−−みつを


  今日は職場である。ところでなぜ、みつをとつける意味があるのか。自分でもわからなくてってきたが、惰性で、みつを。
  バッハ回帰が著しく、バレンボイム平均律も入手して聴いている。写真は帰宅後つける。
  かなり音量が低い。高くして聴く。調べると世の中の評価は思った以上に高い。日本人はバレンボイムに興味がないわけだが、珍しく高評価。どうしてだろう。第1巻を聴いただけだとわからない。2巻目も聴き、繰り返し聴いて、世の中とどの程度私が一致しうるものなのかを考えてみたい。
  モツ君のバレンボイムはよかったと思うのだが、あっさりしすぎているところもあって、ムラがある。ふふふ。日本人はムラ社会から脱却もできないくせに、ムラのある演奏の嫌いな人々なのである。だから総じて不評なわけであるが。
  ということでいま少し聴き込んでからまた評価を下したい。神のごときイタリア人のように。くくくくくくくくくく暗い?
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  午後4時に近くなった。今日はもう帰ることにしよう。ま、特別な日でもあるし。
  ヴァルヒャの平均律第2巻がMDの形で職場にあった。何気なく通して聴いた。うーん。やはりチェンバロではこの演奏が抜群である。
  モダンチェンバロなのだが、一時間以上通して聴けるほど多彩な「おもてなし」に満ちている。その点ではヴァルヒャのオルガンも同じだ。カンタータのリヒター、鍵盤楽器のヴァルヒャがいた頃のドイツ・アルヒーフは完全無敵だった。アルヒーフのレコードさえ買っておけばよかったという時代なのだ。しかし高くて、廉価版で満足するということになったわけであるが。
  それが、その後、イギリス人のガーディナーカンタータ)やピノック(鍵盤楽器)を採用したところにアルヒーフの凋落があった。・・・とすればベルリンフィルは大丈夫なのか。18世紀末のヘンデル協会設立以来、イギリスにろくな音楽家はいない、、、のではないのか。
  ちなみにピノックにはずれなし、という驚くべきことを云っている人を発見した。おいおい。私がロンドンで聴いた限り、彼には技術がない。チェンバロの音をあれほど外す人は素人でもそうはいまい。音楽づくりもチマチマしてるしなあ。そうなんだよ、ガーディナーの音もチマチマしてるんだよ。チマチマ野郎の国イギリスという罵詈雑言もありでばないか。しかし、返す返すも、一体どうやれば、ハズレなしなんて云えるのか。はずれてるのは誰だ?
  なお写真は平均律とは関係ない。また、ヴァルヒャは盲人である。