panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

5分の4で行軍停止。タイクツの原理が機能する。タイの靴ではない−−−−みつを


  バレンボイム平均律は5枚組である。第1巻が2枚、第2巻が3枚。結局、4枚目、第2巻の2枚目のところで聴くのをやめた。
  努力はしたし、もしバレンボイムと聞かないで聴いていれば感動の質も違ったかもしれない。
  バレン君はかなり特異な演奏で、一曲ごとに相当テンポが違い、対位法の面白みをわざと極小化するようなロマンチックなメロディラインを強調するいきかたである。教科書的と、よくクラシック愛好家がいうようなものとは真逆である。アシュケナージが教科書的で、ほぼ何も考えていないように思われる演奏なので、その反対である。
  でも、グルダ的ヴァルヒャ的おもてなしみたいな面白みに欠けており、バレン君をずっと聴き続けるのは至難の技である。一口にいえば退屈だからである。
  クラシック(だけではないかもしれないが)音楽の聴くコツは、退屈したらやめるということである。曲自体、演奏、そのときのこちらの体調、あるべき環境の不在など理由はたくさんあるが、いいとか感動するとか思う実体的判断の以前に、退屈しないで聴き通せるということが、すなわちその曲か演奏家が自分にあっているという証拠となる。これを「退屈の原理」と命名したい。これが選択の第一基準なのだ。
  だから今回はもう少し様子をみてから、バレン君に挑戦することにした。・・・そもそもバレン君の場合、全体としての曲に没入できないようになっている。一曲ずつが自己主張していて、一曲ごとに態度変更をせまられるからだ。この点がグルダ、ヴァルヒャ、アファナシエフなどとの違いだ。まだアシュケ君のほうが陶然となれるだろう。
  以上、報告。センター入試2日目の朝。
  写真は一枚目が函館市公民館(青柳町)、2枚目が去年のフィリピンの台風一過の後。なんだか同じような質をもっているように思うので。