panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

魂の植民地化という議論


  昨日の今日で疲れて、はやめに帰宅した。30分眠ると快調諧調海鳥。
  ステーキとともにアロハビール(ハワイ)というのを昨夜恐る恐る飲んでみて、発泡酒なのではないかと疑うが、他方日本の重たいビールも、東南アジアで鍛えられた甘ビール経験からは、とてもうまいようには思えず、ビールと離れ離れになっている時間の長さがビールへの愛着を薄める結果となってしまったかに思える。くくくくくくく、悔しい。ざさささささざ、残念。
  さてそれはそれとしてこの本は安富歩氏の企画した叢書の第一巻のようである。中国研究者による魂の脱植民地化のための痛切な議論が展開され、アマゾンのレビューをみるかぎり好評のようである。安富氏は「東大話法」で一躍有名になった東大の経済(史)学者。東大話法とは社会的処世におけるエリートたちの官僚主義を刺激的に表現したものである。ご存じのように。この本の中ではアルノ・グリューンやアリス・ミラーなどが頻繁に引用される。
  果たして社会科学や歴史学という形のアカデミズムのなかで彼らのもつ関心を客観的に表現し追求できるものなのか。「蓋」(ふた)をすることで感情が分裂している現代人が正常とみなされ、そうでないよう生きようとすると異常のがわに分類されてしまうこの現状を打開するべくいろいろな書き手の個人史まるごとが本に記入される。彼らの表現だと「学術ダム」の決壊を行うことで魂の脱植民地化へ一歩近づこうとしているようである。
  学問的な意味では我輩としてすら手放しで称賛することに躊躇を覚えるのだが、いろいろな蓋で魂の分裂した人間ばかりのこの日本を思うと、やはり興味深くこの叢書にはまりこんでしまう誘惑をふりはらううことが、ややむずかしい。・・・って、回りくどいか。