panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

午前中にしゃべるのはいやだ


  午後にかかるくらいで会議は終わったが、人前でしゃべると疲労するし精神的に何か減った感じがする。アルノ・グリューン『「正常さ」という病い』という本の第6章は「内的な空虚の表現としての、権力者たちの権力政治」と題されている。
  こういう会議だの討論だのをくりかえしてくれば、おのずと人は空虚になるのだなあ。同感同感。・・・どんかん?といえば船田元氏の写真をあげておいた。長谷部先生を呼んで国会で安保関連法制について違憲の意見を述べさせたのは彼である。ただの空虚以上のものが彼にはあるようである。あほ?でも笑えたからいいか。

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  ちなみにグリューンの本は(もう少し控え目に書いていればもっと)面白いのだが、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を「何よりもまず、多様な側面から見た、日常的な男性の狂気についての研究である」(192頁)と評している。エーコは、不安が自己奴隷化の核心であり、自分自身を笑う能力はその(不安の)支配力を失わせるとも云っている。
  我輩の愛読書ではないが、おり触れて眺める本なのである。自分を笑うことはつねに普通であることの不可欠の条件なのである。わかってるね、このブログを読んでいる方々は。
  この百年、人さまを笑わせても得になることは何一つなかったような気もするが、自分だけは狂わないですむ。これって一番たいせつなことじゃね?