panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

名古屋からもどる

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  葬儀を終えてもどってきた。結婚以来もっとも土気色といわれたほど体調はよくなく、少し歩いたり、夜まで会食したりするだけで疲労してしまった。要するに夏いっぱいの静養の結果、そして細菌感染の真っ只中にあるせいで、拙者の体はすっかり弱体化していたのである。
  車で職場、車で帰宅は可能だが、それ以外はかなり行動範囲が限定されていたわけである。こういうときにかぎって重大事件が起こる。
  名古屋では大半、白壁にいたが、焼場は八事だった。焼却器は少なくとも45はある大規模なところだった。白壁には家人の実家があるが、まわりは徳川時代からの落ち着いた暮らしぶりのところである。斎場も白壁にあったので、久しぶりに白壁や徳川町の夜を歩いた。
  たまに胃もいたむが、抗生物質20日以上飲んでる超病人も、明日からまた仕事である。