大震災でみんな同じ土俵に立った















阪神大震災が起きた早朝は、N市に出掛ける予定をしていました。

然の家庭内の変化に一夜明けて自分の置かれた状況の残酷さと

一方、周りを見ると、何事も無かったように、平和で当たり前の日常を

当然のように送っている人々の笑顔を見て、「なぜ笑っていられるの?」と

其の差に 不思議と混乱を感じる其の頃の心境でした。

あの頃は、毎日山のように片付ける仕事が満載で、朝はまるで布団から

身体を無理やりに 引き剥がさないと 起きられない状態でした。
















あの日は、出掛けるので、5時過ぎから、寝床の中でぼんやり目覚めかけて

いたのですが、 『 ガタ ガタ! ガタ ガタ!』 と立てゆれの大揺れと言う

只ならぬ状況がおきて来ました。午前 5時47分!

サチが甲高い声で 「きゃん きゃん」 啼いて怯えて走り回り 私もがくがく震えが

止まりませんでした。 独りの心細さをこの時は全身で感じました。

急いで、サチを抱き上げ庭に面した応接間の窓を開け いつでも飛び出せるように

して置いて、余震がありましたが,やがておさまり、サチをしっかり抱きしめて

お互いに寄り添って落ち着こうと必死でした。

そして、一体周りはどうなって

いるのか?とテレビをつけました。 

そこで事の重大さがテレビを通

して迫って来ました。

其の日から数週間、阪神間

至る所、一瞬にして惨憺たる

状況に放りこまれてしまいました。 

昨日まで安らぎと寛ぎの場所

だった家や家族を失った人々

が続出していきました。


私は其の状況を目の当たりに見た時、一足先に安らぎの家庭が崩壊してしまい

頼る身内の心もバラバラになって、ただ独りで暗闇の中に放り込まれて不安と心細

さで暗澹としている自分の状態を考え、今こそみんなで一緒に同じ土俵に立って、

ゼロから頑張るんだ!ひとつひとつ片付けてゆけば大きな山も 小さくなり やがて平地に

なる時が必ず来る!と 心に小さな希望の火が灯った気分になったものでした。














『人の細胞は1年もたてば 全て入れ替わる

1年前と今の自分は全く別人 1年後には、また新しい自分になる

誰かが流した嬉し涙や悔し涙が蒸発して雲となり、雨となり、川となり

  やがて 飲み水や野菜となって 今の自分の体をつくる原子となっている

  大好きで大切なあの人も ちょっとイヤだと思うあの人も

  その体の一部が自分の体の一部となっているかもしれない

  自分は誰かの一部であると同時にやがて自分は誰かの一部となる

  全部がつながっている 起きる全てのことはつながり合って

  関係ないものはない 出会う全てのことは

  自分も世界も良くなるためのキッカケ あなたが良くなれば

  あの人も良くなり 世界もまた良くなっていく』

<成長のヒント>