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Peepooblue’s Notebook

1998-08-11

[]知床半島・夜の動物ウォッチング  09:55

 自転車北海道東部を走った1998年夏。知床半島斜里町側、宇登呂の北にある「しれとこ自然村」に2泊した。昼間は自転車知床五湖などに出かけ、たくさんのエゾシカを見たが、夜は夜で「夜の動物ウォッチング」というイベントに参加してみた。これはその時の記録。

   

 知床自然センター主催の「夜の動物ウォッチング」は宇登呂バスターミナルに18時半集合。

 町なかの電光温度計の表示は「18.3℃」で、本州人の感覚からすれば、夏の気温としては低すぎるのだが、こういう数字にはもうすっかり慣れて、むしろ意外に高いな、と思うほどだ。それでも夜の山に出かけるので、Tシャツの上に長袖のシャツも着てきた。下はジーパンだし、これなら寒くはないだろう。

 集合場所に行くと、すでに結構な人数が集まっていた。バスターミナルの建物の陰に自転車を止め、自然センターのスタッフに参加費1,500円を払い、貸切バスに乗り込む。

 車内に、昨日から泊まっている「しれとこ自然村」で親しくなった福島の大学生Yくんの顔があった。坊主頭で目がクリクリとして人懐っこい青年である。昨夜、僕がこのツアーの話をしたら、彼も興味を持ったらしく、一緒に参加することになったのだ。彼はバイクで旅しているのだが、エゾシカはまだ見ていないという。道東まで来てシカに会わない、なんてことが可能なのかと不思議に思うのだが、そうなのである。

 さて、バスは結局41名の参加者を乗せて出発した。

 案内役は自然センターの男性スタッフと、ほかにボランティアレンジャーが男女1名ずつ。また、お客に混じって、立派なカメラを持った女性がいるのは北海道新聞の記者とのこと。

 全員に倍率8倍の双眼鏡が配られるが、僕は借りない。自分の10倍の双眼鏡を取り出すと、Yくんが、

「さすがですねぇ」

 と感心したように言う。すっかり自然観察に熱心な人と思われているようだ。

 それはともかく、バスはどこへ向かうのかと思えば、知床五湖の入口手前まで行くとのこと。その先は道路が夜間閉鎖となるので、そこで折り返してバスをゆっくり走らせながら暗闇を強力なライトで照らして動物を探すという。

 運がよければ、シカやキツネのほかにヒグマ、エゾモモンガなどが出る可能性もあると聞かされ、「ヒグマに出てきてほしいね」なんてYくんと言い合う。実際、参加者の中には、けさ知床五湖からカムイワッカ方面の林道に少し入った地点でヒグマを見たという人もいたから、期待してしまう。

 そうこうするうち、バスはアップダウンと急カーブを繰り返して知床五湖の入口に着いた。すでに駐車場も閉鎖され、昼間の賑わいは失せ、完全な暗闇と静寂があたりを支配している。この闇に包まれた大地のそこかしこでヒグマたちが活発に動き回っているはず。いまや我々にとって安全地帯といえるのはバスの車内だけなのだ。

 そこでバスは方向転換。さっそく“照明係”に任命された人たちが左右の窓から強力ライトの光線を闇の中に走らす。

「あ、いた、いた!」

 すぐにあちこちから声が上がった。

 左側の草原の奥でスポットライトの中にエゾシカの姿が浮かび上がる。

「あぁ、あそこにいますねぇ。角があるからオスですねぇ」

 案内役のスタッフもマイクを握ったまま、目を凝らしている。

 シカは真っ暗闇の中でも黙々と草を食べていた。開拓地の跡には今も牧草が生えていて、しかも天敵はいないわけだから、シカにとってはまさに別天地。それで、この一帯はエゾシカだらけになってしまったのだ。

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 一度車外へ出て、数頭のシカの様子を観察した後、バスはゆっくりと走り出す。

 シカは次々と見つかった。ちょっと走ると、「あ、またいた!」という声が上がって、停車。あまりにたくさんいるので、ちっとも進まない。

 闇の中でも思っていた以上に活発にシカたちが活動していることは十分に理解できたが、それにしても少し飽きてきた。ここらでヒグマにでもご登場願いたいところである(草原の中にクマみたいな形の黒い岩がいくつかあった)。リスでもモモンガでもタヌキでもキツネでもいい。シカ以外の動物に会いたい。

「それでは、ちょっとこの辺で外へ出てみましょうか」

 シカばかりで食傷気味になったところで、知床の夜の雰囲気を肌で感じてみようという趣向である。

 まず、スタッフがひとり先に草原へ入っていき、ライトを照らして、近くにクマがいないことを確認した上で、全員がバスを降りた。

 原生林に囲まれた草原の真ん中に立ったところで、スタッフの持つライトもバスの車内灯も消され、エンジンも切られた。恐ろしいほどの静寂が訪れる。同時にこのドキドキするほど張り詰めた空気を無数の生き物たちと共有しているのだ、という感動がじわじわと湧き上がってくる。

 ただ、完全に真っ暗闇かと思っていたら、実はそうでもないことも分かってきた。夜空はいつしかすっかり晴れて、満天の星が光り、星明かりの中に周囲の木々や遠い山の稜線のシルエットが浮かび上がっているのだ。

 そこでライトをつけると、その場は明るくなるけれど、周囲は却って何も見えなくなる。ライトを消せば、また星の明かりであたりの闇がぼーっと透きとおる。

 この世の闇をすべて光で照らそうというのが現代文明の基本的な方向であるけれど、そうした文明化によって我々が見失ったものもたくさんあるのだ、ということを改めて教えられた気がする。

 そんなことを思いつつ、星空を見上げていたら、青い星がひとつスーッと短い軌跡を描いて流れて消えた。

 宇登呂のバスセンターに戻ったのは20時40分。結局、今夜の成果は20頭ばかりのシカと、自然センター付近の道路際をうろついていた子ギツネ1匹だけだったが、流れ星も見えたことだし、まぁ、良しとしよう。

 元来、僕は夜汽車とか真夜中の散歩とかのもつ、日常が非日常へ反転したような不思議な感覚が好きなので、こういうツアーに参加できただけでも満足なのである。

 キャンプ場への帰り道。同行のYくんはバイクなのに僕の自転車のスピードに合わせてノロノロ運転。ずっとこんな調子ではイライラするだろうから、「先に帰ってていいよ」と言ったのだが、結局最後まで付き合ってくれた。バイク乗りにとっては、時速20キロ、しかも人力の自転車なんて、のろまなカメみたいなものだろう。

「ずっとこんなスピードで走ってるなんて、考えただけでも気が遠くなるでしょ?」

 そう聞くと、彼は何と答えていいか分からない、というような微妙な笑みを浮かべた。