いつもながら・・・

peerclinic2014-02-19

 息子には「まりこのま〜は まぬけのま」と歌われ、訪問先の人たちやぴあクリニック訪問チームリーダーの山田さんとかから忘れ物がないかよく心配される私ですが、とうとうやってしまいました。なんとまあ、「コロコロ」すなわち衣類などが入った大きなキャリーケースをなごみさんに忘れてきてしまいました。
 事務の佐藤菜摘さん(ACT全国研修にもいらしてくださり、分科会で確か司会をしてくれたと思います)に電話してぴあクリニックに送ってもらうことにしました。菜摘さんお手数をおかけします・・・。物流が滞って大変な宅急便の会社のみなさん、こんな忘れ物で仕事が一つ増えてごめんなさい。

「飲んで幸せになる会」??

 午前中の最初は、アルコール依存の方の訪問に関するうちあわせに参加させていただきました。震災によって住まいも職も奪われた人がアルコール依存に陥るというケースは後を絶たないようです。特に漁師さんは、夜に漁をして昼間は飲んでいるのが常態。それが震災によって職を奪われ、昼のみならず夜も飲む、そしてアルコール依存へ・・・というパターンがあると、他の方からもききました。松川浦の漁は再開しつつあるとのことですが、汚染水を海に放出しても良いとのIAEAの報告も先日あったばかり・・・http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140214/k10015231991000.html。漁をする方も、食べる方も、不安を払拭することは難しいかもしれません。
「漁師さんは怒っていますよ。本当に」と、昨日きいたばかりです。

 なごみさんでアルコール依存の方への支援を行っているというのは、地域にとって大きな力なのでしょうね。他にAAもあるようです。
 私はぴあクリニックで2007年5月ごろから摂食障害のみなさんのセルフ・ヘルプ・グループである「食べて幸せになる会」の運営のお手伝いをしています。私自身、たまたま摂食障害はないけれども、生活のしづらさと問題を多々抱える悩める一当事者として参加しています。
 「食べて幸せになる会」というネーミングは、「とりあえず」でつけた名前で、おいおい当事者のみなさんがもっと良い名前に変えてくれることを見込んでいたのですが、意外なほど当事者のみなさんに人気で(NABAの鶴田桃エさんも褒めてくれたくらい)、この名前が定着しています。

 アルコール依存の方への支援を行っている伏見さんに「食べて幸せになる会」という名前をお伝えしたら、「そうだよね〜。『飲んで幸せになる会』もいいよねえ」と。確かに、少量飲酒はストレスの発散になるし、「お酒」でなくても何かを飲んで幸せになることを含んでもいいし。どうやったら「幸せ」に飲めるかをみんなで考えるという逆転の発想も悪くないように思います。
 ただ、食べるという営みは生きていく以上はずせないから、摂食障害の人も「食べる」ことを抜きにはできない。それに対して、もちろん水分摂取は必要ながらお酒を「飲む」ことを断っても生きていける。「飲む」というと日本語のニュアンスからして「お酒を飲む」という意味合いが強い。そのあたりで、
「飲んで幸せになる」というネーミングは誤解を招きやすいかもしれません。

 でも、「幸せに飲む」「飲んで幸せになる」という発想はアルコール対策(予防も含め)にあっても良いように思います。「お酒飲んでませんか?」と訪問で始終尋ねるよりは、一緒に「幸せな飲み方」ってどんなものか、何をどう飲めばいいのか考えるほうが、その人のリカバリーにつながる気がしますが・・・いかがでしょうか?

他の職種の全く別にみえる発想を少なくとも理解しようとする 

その後は、なごみさんの母体であるNPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」の副理事長で福島県立医科大学の大川貴子先生、廣田さん、木村さん、石井さんによるセルフ・ケア・モデルに基づくアセスメントシートなどの記録用紙の作成に関するミーティングに参加させていただきました。
 なごみさんは今後セルフ・ケア・モデルを採用して支援を行うのだそうです。私たちぴあクリニックではストレングスモデルにもとづき、アセスメントシートとリカバリープランを作成しています。今後、訪問看護ステーション不動平の看護計画などの記録用紙とストレングスモデルをどう摺り合わせていくのかが課題でもあり、なごみさんの記録用紙の作成はとても興味深いものがあります。

空気?? 排泄、個人衛生??

 とはいいつつ、正直なところ、アセスメントシートをみて、最初はぎょっとしました。
空気・食事・水分/排泄/個人衛生/活動と休息/孤独と付きあい・・・
といった項目ってまるで・・・。このような観点からだけ「地域で生活する人」をみるのって一体どうなんだろう??

(実際に使ったものは個人情報が含まれているので、ネットからひろったものを画像として紹介しています)

 「孤独と付きあい」っていう表現ではなくて、もっと社会的なつながりとかネットワーキングとか違った言葉を用いると違ってくるのではないかと質問してみたのですが、大川先生の答は、この用語はオレム―アンダーウッドのセルフケアモデルの理論に基いて作成されたものであり、「孤独と付きあいのバランスがとれていること」に関するものなのだ・・・・といった説明をしていただきました。
 また、「排泄」という言葉にぎょっとして、この項目と「活動と休息」の書くスペースが同じ大きさなのって地域で生活している人の訪問を行っている自分にはやや違和感があるのですがと質問してみると(・・・こうやって書いていると、なんだか本当に空気読まずにバシバシ質問していて恥ずかしくなりますね・・・)、もちろん人によって書く量はそれぞれまちまち。学生にはこの欄の大きさを自由に変えるようにと言っている。ただ、抗精神病薬を飲んでいる方は便秘気味になっている場合も多い。いろいろな症状の影には排泄の問題が潜んでいる場合も多いので、それはそれで必要な情報だろうとのことでした。確かに、失禁のことで(特に私たち支援者が!!!)困っている方もいらっしゃいます。

 まあ、そんな感じで、私たち?PSWにとってはなんだかものすごく違和感のあるシートではあったのですが、一つ一つについて大川先生に解説していただき、セルフケアとリカバリーとの関係などについて大川先生の見解を伺うと、決して自分たちのめざすところと変わらないのだなあと感じました。まあ、当然のことではありますが。
 素人のあまりに素朴な質問にもわかりやすく答えてくださった大川先生、ありがとうございました。看護の人たちの発想が少しわかったような気がします。

アセスメントの落とし穴

 ただ、ストレングスモデルのアセスメントでも同様なのですが、アセスメントシートに私たちが使われてしまうことが懸念されますね。アセスメントシートはあくまでツールであり、それを使って私たちが何をめざすのかを、チーム全員で確認していかなくてはいけないし、アセスメントなどの支援の過程において主体は当事者であることを忘れてはいけないでしょう。アセスメントって「査定」という訳語もあてられます。「査定の対象」じゃあ、モノ扱いですから、アセスメントにおける当事者との関係性については、注意してもしすぎることはないのではないかと思います。

「何かあったらどうするんだ?」――地域生活支援を行ううえでの2つのベルリンの壁

知らないことにがベルリンの壁

 お昼は、なごみクリニック設立のために奔走された方(からお話を伺いました。
 精神科医療機関がなかった相馬。そこに初めて精神科医療機関を設けるにあたっては、大変なご苦労があったようです。
 そもそも、どうして相馬市に精神科の診療所を設立しようとしたのか、すでに資源のある南相馬にしなかったのが不思議でした。これは、公立相馬総合病院に臨時に精神科外来ができ、全国からかけつけた精神科医のみなさんによってこれを維持したという経緯*1によるところが大きいようです。
 その流れで公立相馬総合病院のすぐ近くの場所に・・・となったのですが、そこには大きな障害がありました。

 そもそも精神科医療機関がない相馬です。精神疾患にかかった方、精神障害のある人たちは「怖い」という思いが非常に強かったそうです。今のなごみさんの場所は「通学路じゃないか。子どもが学校に通うところに精神科の診療所があるなんて。何かあったらどうするんだ?」
という声もあったのだそうです。
 また、昨日薬局に精神科薬がおかれていない、やっとA薬局が精神科薬を置いてくれたということを紹介しました。これにも理由があって、
「精神の患者がこの薬局に薬をもらいに来たら、お母さんや子どもは危険で薬局で薬をもらうことができない」
という声が本当にあったようです。そのような理由で精神科薬を置こうとしない薬局もある中で、いち早く精神科薬を置いてくれたA薬局の英断はいかにありがたかったことか。確かにA薬局に「恩がある」といえますね。

 単なる「在庫」の問題ではなかったのだと改めて認識しました。

 でも、私も他人のことをとやかく言えないかもしれません。寒さに弱く、冬の東北とか大雪とかに慣れていない自分は、先週は実はかなり不安で緊張していました。札幌生まれの例えば佐々木さんだったら、「フツー」のことが、私には本当に生死を分けるような恐ろしいことのように思えます。私だって、精神障害のある人との接点がほとんどないままPSWの実習で帯広に行く時には、本当に不安でした。自分も帯広で病気になったらどうしよう・・・そう思ったのも事実です。

 知らないことによる不安というのは、厄介なものです。

 でも、だからこそ、地域でいろいろな人が生活して、地域の人が「いろいろな人がいていいんだな」と思えるようになるといいですね。

慎重論がベルリンの壁

 そして、もう一つ厄介なのは、「慎重論」という名の現状維持あるいは抑圧というものだと思います。

 「何かあったらどうするのか?」

 昨日の重度の精神障害のある方の一人暮らしも同様です。
 もちろん、リスクマネジメントは大切です。見込発進による失敗もあるかもしれません。でも、「何かあったらどうするのか?」という、非常に無限定な一般的な問いかけに対策を講じることは困難を伴います。それを問うことで、一つのささやかな試みがつぶされてしまう。
 そういう傾向に対して、私たちはどんな手段を用いるのか。どうやってそこを乗り越えるのか。とても難しいけれども、とりあえず「何かあったらどうするのか?」という言葉のもつ抑圧的な側面に自覚的になることは必要でしょう。





 今回は、いつの間にか、「精神科医療機関がなかった相馬」というテーマで書くことが多かったようですね。でも、どんな地域でも起こりうる問題も多く含まれていたように思います。

 次回、最後の支援は3月10日から12日。図らずも3.11をはさむこととなりました。風邪をひかず、疲れに負けず、またなごみさんに伺いたいと思います。

 なごみさんのみなさん、おじゃましました。
 ありがとうございました。

 ぴあクリニック・ぽっけのみなさん、留守のあいだ、ありがとうございました。
 明日からまたよろしくおねがいします。