召集
いやタイトルは例によってなんも考えずに書いてるんですが、母から電話があり保育所時代の同窓にお子が生まれて挨拶に一緒にいきましょう。それで、その待ち合わせで明日、日比谷野音に午後二時ね。え、なぜ? いや憲法の日の集会があって、日比谷から行くのに彼女のお家が便利なのよ。とサラッと言われ口挟む間もなく「志井さんとかも来るから〜」と追い討ちをかけられ脳が作動する前に電話を切られました。*1
えー、エレクトラコンプレックスを持ち出すわけではなく母親の左っぷりに関することをトップに黙殺を続けていたここ15年ほどというのがあるんですけど、ここ一年の関係改善に気を良くしてか全く無防備に召集かけられ、友人には「動員ですか」とかいわれ大間違いだこれは出征だから、赤紙(まさに)だから。とかいうてましたが、えー、複雑。
だいたい今を遡る25年前、当時5歳で全く母親を素直に信頼していた頃、連れて行かれたデモ(多分、日教組かなんか@大阪)で「あんぽーふんさいー」とか、周りの真似して言ってみてたら、母の友人の女教師がクールに「この子、意味解って言ってるのかしら?」と母親に向かって皮肉を言い、そこから人生最初の葛藤が始まった。そういう記憶の構成となっております私です。
関係ないけど今日「日本近代絵画」についてのシンポで浅田さんが「代々木的な。いや、こう言っても今の人には伝わらないかな、あのなんていうかスターリン的なね(笑)」とかいうてましたが、伝わらないもんなんですか。すいません。
代々木公園
下北沢からの帰り、図書館のポストに返却予定の本で未読のものを未練がましく目を通すために井の頭通りにお茶を探し、年明け頃に開店したIDEE系のカフェに立ち寄るがClosed、日曜日だった。ということで立続けになるけど深町のタールムへ。静かでお酒以外のものが飲めて店員の干渉がなくて近所、しかも日曜夜、となるとかなり限られてくる。あたりまえだが。返却本はサイードと鈴木一誌のものだったのだけど、ファノンに続きこれらは買って読みます。でも買うと読まないで積み上がるんだヨナ、ここ暫くはまた。
とにもかくにも、店を出て道沿いに停めた車に向かおうとした一瞬、息が詰まるほどの質感を伴った濃厚な土と草の匂いが代々木公園の丘を滑り降りてきた。木々の繁りは漆黒で、昼には希薄な生命感が蘇ったようだ。93年の夏の夜を少し思い出す。waterなんかのテクノ系イベント、別口でアシッドジャズの残党やソウル、ラテン組が機材を持ち込んでフライヤーを頼りにやってきたキッズが踊る。木々の匂いと煙りとお香と、気の抜けたぬるいビール。そこにあるものが、未来への憧れや記憶の愛撫ではなくて、その瞬間と一体になりながら先へと進む快感だったこと。何が起こるか解らない場所だったけれど完璧に信頼していた、幸福な時代。その危うさとともに、結局そう今とは変わらない、どうやっても三つ子の魂。
Quo vadis? は、手許の手帳の名前だがさて何処へ行こう。しかしここではない何処かへなどと、本気で言うほどには若くはない。