Hatena::ブログ(Diary)

二面楚歌 断章

2017-03-19

戸島花と囲碁 雑感

囲碁フォーカスの司会を勤めることにより、ついに戸島の頭の良さが仕事に繋り、実を結んだ。

司会だけでなく、講座の聞き手まで務まるのは稀有。 並べた石を元に戻せる素人など、探しても見つかるものではない。

番組からは外れるが、これからはより自由な立場を得て、囲碁に関わっていくことだろう。



戸島花の灰色の脳細胞の持ち味は「考える力」と「記憶力」にある。 切れる頭ではなく強い頭。 瞬発力は無いが持続力に優れる。

小林香菜のような規格外のものが廻ってくると暫くは持て余すが、思考停止はせず、時間は掛かっても泳がせて飼い慣らせるようになる。



蘇耀国九段のコメントが面白かった。

「最初は冷たくて恐い人かと思ったけれど、段々優しくなっていった。」

先ず、壁を作るところから始まり、相手を観察し、徐々に壁を薄く低くして行く。 この辺りも戸島らしい。

慎重だが優柔不断、大体に於いてもどかしいが大失敗は無い。



思えばファンの扱いも囲碁的であった。 粗略にはしないが特別扱いもしない。

客に夢を見させるのが下手だったからアイドルの接客業としての部分での成功は無かったが、篭絡されて身を持ち崩す者も精神を病む者も出なかった。



私が日本棋院とNHKに感謝しているのは、ともすれば派手な方に暴走しがちな戸島のファッションセンスにブレーキを掛けてくれたであろうこと。

その点に於いては行く手が思いやられる。

2016-12-25

2016 写真展まとめ

中藤毅彦写真展 Berlin 1999+2014(ときの忘れもの)

http://petri.tdiary.net/20160109.html#p01


村田タマ写真展「いまは、まだ見えない彗星」

http://petri.tdiary.net/20160116.html#p01

http://petri.tdiary.net/20160131.html#p01


鎌田紘子Presents『シースルー写真展』

http://petri.tdiary.net/20160319.html#p02


Elizabeth Char 写真展「巴里画」

http://petri.tdiary.net/20160410.html#p02


石川栄二写真展 「みずとか はなとか はっぱとか」

http://petri.tdiary.net/20160430.html#p02


二人展+グループ展『part of the whole』

http://petri.tdiary.net/20160430.html#p03


Photo Infinity Tokyo 2016

http://petri.tdiary.net/20160501.html#p02


第十回ノンライツRF友の会写真展

http://petri.tdiary.net/20160503.html#p03


声かけ写真展

http://petri.tdiary.net/20160506.html#p02


檜画廊写真展「街の記憶・建物の記憶」

http://petri.tdiary.net/20160604.html#p01


ZOO 舞山秀一 写真展

http://petri.tdiary.net/20160605.html#p01


ひとはだ脱ぎます展

http://petri.tdiary.net/20160605.html#p02


村田兼一「作家生活20周年を斜めから観る」展

http://petri.tdiary.net/20160606.html#p01


ミスiD×青山裕企 写真展「わたしだけがいない世界。」

http://petri.tdiary.net/20160703.html#p02


田中長徳写真展『TODAY TOKYO 1966』

http://petri.tdiary.net/20160710.html#p02


中悠紀写真展「AUTUMN LEAVES 2」

http://petri.tdiary.net/20160718.html#p01


七菜乃写真展 私の女神たち -My Venuses-

http://petri.tdiary.net/20160820.html#p01

http://petri.tdiary.net/20160821.html#p01


From Life ― 写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展

http://petri.tdiary.net/20160831.html#p01


菅野絢子写真展『connect』

http://petri.tdiary.net/20160918.html#p03


HASEO 人魚展

http://petri.tdiary.net/20160918.html#p04


it's me 桑島智輝 × 杉本有美

http://petri.tdiary.net/20160919.html#p04


シースルー写真展2

http://petri.tdiary.net/20161010.html#p01


中藤毅彦写真展[Lumiere」

http://petri.tdiary.net/20161010.html#p02


雨宮里恵×かね子はる「As present self portrait」〜女性セルフポートレート作家による二人展

http://petri.tdiary.net/20161016.html#p02


写真展「私的写真集選手権」Vol.4

http://petri.tdiary.net/20161023.html#p01


酒井敦写真展「胎内窟」

http://petri.tdiary.net/20161024.html#p01


舞山秀一写真展 [progress]

http://petri.tdiary.net/20161112.html#p01


村田兼一「魔女の系譜」出版記念展

http://petri.tdiary.net/20161112.html#p02


大和田良ゼミ第6期修了制作展

http://petri.tdiary.net/20161127.html#p02


東京・TOKYO 日本の新進作家vol.13

http://petri.tdiary.net/20161127.html#p03


写真展 『'Inhabitants' 居住者』

http://petri.tdiary.net/20161127.html#p04


Noriko Sakai 30th Anniversary Concert 〜熊本地震復興支援写真展〜

http://petri.tdiary.net/20161211.html#p01


月刊槙田紗子×魚住誠一写真展

http://petri.tdiary.net/20161211.html#p02


金利健司写真展 ムーニー劇場〜切った女と切られたかった男〜

http://petri.tdiary.net/20161211.html#p03


ササガワ ヨウイチ写真展「ヨコハマ モダン スタイルズ」

http://petri.tdiary.net/20161218.html#p01

2016-11-21

第23回「ひとつき十冊」で選んだ本について

選んだ本の内容などについて纏めておく。


成島柳北「柳橋新誌」(1987/岩波文庫)※1刷1940

この本についてはこちらに纏めてある。

柳北先生は頭の使いようで顔が不味くても金が無くても遊びようはあると書いていて、それはそれで正しいのだけれど、引っ掛かるところが無いでもない。

それは柳北先生が割とモテたと言う事で、同じように旧幕臣で同じような文筆を生業とした福地櫻痴にやっかまれて「乗った人より馬は丸顔」とあてこすられた逸話もある。

(櫻痴の振る舞いが野暮でモテようも無かったと言う話も有るが)

その引っ掛かるところが、齋藤緑雨の遊び方に繋がる。


齋藤緑雨「かくれんぼ 他二篇」(1991/岩波文庫)※1刷1939

頭を使って遊んでモテたのが柳北先生。 頭をモテる方向に使えず、花柳界で遊ぶのではなく、花柳界でネタ採りをして、書くことで遊ぶと言う、文化系アイドルファンのはしりのもう一つの例として話そうと思っていたが、あまりに読みにくいので当日までに読み込めなかった。

これは別に文章として纏めたい。


大杉榮・伊藤野枝「二人の革命家」(1985/黒色戦線社)

落語会の後の打ち上げでアナルコサンジカリズムについて訊かれたことが有る。

(アナルコは無政府主義、サンジカは労働組合。 労働組合主導の無政府主義。)「アナルコサンジカリズムってなんなんですか?「アナル」、「小三治」、「カリ」」

答えを聞きたかったわけではなかったようで、訊ねた後でダァーッハッハッハッと笑っていた。


閑話休題、この本の話。

黒色戦線社はアナキストの出版社で、既に活動はしていないと思われるが、15年位前に新宿の模索舎で買った。 今でも置いていると思う。

削除や伏字もあって、生々しい。

大杉の描いた部分では、P155からの「ソヰ゛エト政府と無政府主義者」

偽りの革命であったことを喝破するロシア革命評が痛烈で面白く、本邦の左翼が如何にソヴェートべったりで現実から目を背けてきたかが分かる。


P143からの「人類の意志」は、「新しき村」を始めた武者小路実篤批判。

近現代の文学者であった印象のある実篤が、既に歴史上の人物となってしまった大杉にぎったぎたにブッタ斬られているのが面白い。


伊藤野枝の書いた部分では「無政府の事実」。

些か寓話的であり、理想化され過ぎている観もあるが、行政単位としての「村」とは別に地域共同体としての「村」が自治組織として生きており、それは無政府主義の理想とも重なると言う話。

これはここに文字起こしがある。


子母澤寛「味覚極楽」(昭和63年/中公文庫)

石黒忠悳の「しじみ貝の殻」など、「美味しんぼ」のエピソードの元にされつつ、出展が明記されなかったエピソードがいくつもある聞き書き。


豊田旭穣の「あなご寿司」の項に出て来る琵琶の人気投票の話とAKB48の例の茶番についても話そうと思ったけれど切っ掛けが無かった。

それもこのあたりにまとめてあるので興味のある方はどうぞ。


P67からの銀座千疋屋主人の話

利休が西瓜に砂糖を掛けてだされて帰っちゃう話。

これが青木正児「華国風味」所収の「醃菜譜」 のP173にも出典付きで出て来る。

(柳沢淇園の「雲萍雑志」とのこと)

こっちは怒ってなくて、砂糖をよけて食べて帰って、門人相手にありゃねぇだろう的な話をして苦笑いしている。

こうした繋がりの発見も読書の楽しみの一つ。


P86からの尾上松助の話。

聞き書きで名を成しただけのことはある、口調の伝わる筆致

桂文字助師匠と六代目圓生の口調を思い浮かべて読むと楽しい。


青木正児「華国風味」(1984/岩波文庫)

浪人中にあれこれドガチャガして拵えた金もって三省堂の文庫コーナーをうろうろして薄くて安くて面白そうなのを探して買っていた頃の一冊。

風邪か何かで寝込んだ時に「センセイ、コメを食えば治りますよ」と言われて「ばかもん、コメのエキッスが欠乏しておるのだ」と返して酒持ってこさせたとか、そういう碩学だが洒脱な漢学者。

戦後の物の無い時期に書かれた食い物の話が切なくて面白い。


「醃菜譜」は、昭和22年に書かれた、山寺の和尚に貰った干した筍の話とか、白菜漬けを鍋に入れてもシャキシャキしたままである話とか、これまでに食べたさまざまな漬物の思い出話。

P166の


「油濃い料理に飽きて、搾菜はないかと注文すると、有有有と三つ返事でボーイが持ってきたのは、冷蔵庫でひいやりと冷やして繊に刻んだ緑の色もすがすがしい一鉢。 飲めること飲めること。」


ほどんどの人が搾菜なんざ知らない時代に、どんなものか想像しやすい描写で唾液腺を刺激するような文章。 有有有の発音は「ヨーヨーヨー」だと思われる。


平井正「ゲッベルス」(1991/中公新書)

P166「女漁り、リーフェンシュタール」の項に、ある「魚屋に猫がいるようなものだった」と言う評からパーロヴァ事件について。

ゲッベルスは「半ヲタ関係者」のはしりと言う話をした。


太宰治「もの思う葦」(昭和54年/新潮文庫)

保田与十郎が緑雨を読んでいたと言う記述がちょろっとあり、読んでいてあれなのか読んだからあれなのかと言う話とか、二面楚歌の由来とかの話をしようと思っていたが、切っ掛けが無く。


立川談志「談志楽屋噺」(1990/文春文庫)

P168からの「講釈師たち」。 昨今は「講談師」と名乗ったり呼んだりすることがあるが、私は「講釈師」がしっくりくる。

P170 からの


「馬琴、貞丈、貞山、小伯山とそれぞれ前者二人は上手く、心地よく、後者二人は不器用でしたが、それぞれの個性で楽しめた。 しかし、講釈を数多く聞いてくると、寄席に出ていて、そこでウケる講釈師、つまり、大衆的な講釈よりも、寄席へ来るとウケない講釈師を好むようになる。 その世界の講釈師に惚れちまう。」


私もそういう方向へ行きつつあるので、このあたりの話を。


大衆性は無視したような物を好むことを自覚しつつ、それを「芸術」と言う方向で言い訳にしない。 そこが安藤鶴雄と色川武大・正岡容との違い。


威張った奴・店が嫌いと言う子母澤寛と安藤鶴雄の共通点に思い至ったが、これは別の機会に。


東京都写真美術館「ドキュメンタリーの時代 名取洋之助・木村伊兵衛・土門拳・三木淳の写真から

写真美術館で見た中でも出色の展示企画だったものの図録。

木村伊兵衛・土門拳・三木は一枚でも意味を持つ写真なのだけれど、名取洋之助の写真は「束にして」「並べて」「キャプションをつけて」初めて意味を持つ写真。

それが較べて見られて実感できる図録。


JOHN R.BAIRD「collecters guid to KURIBAYASHI-PETRI cameras」(1991/CENTENNIAL PHOTO SERVICE)

初めて通読した洋書。

初めて私のものになったカメラは、買ってすぐに親父がぶっ壊してそのままになっていたのをお年玉で直したペトリカラー35だったのだけれど、以来この「面白いけれど困ったカメラを作っていた会社」に耽溺している。

国内で出版された研究書は無く、アメリカの趣味人が上梓したこの本が唯一のもの。 同好の士のあいだでは略して「ペトリ本」と呼ばれている。


当時ニューヨーク在住だった友人がこっちに来る際に買ってきてくれたもので、表紙をめくると鉛筆で「$35」と書いてある。


私の英語の成績は初めから終わりまで地面効果を利用した超低空飛行であって、読み通す自信はなかったのだけれど、馴染みのある固有名詞とテクニカルタームを平易な文で繋いであるので、細かいニュアンスはさておき、大意は汲んで読み通すことが出来た。

外国の言葉を学ぶ際、下手に教科書を使うより、趣味道楽にまつわる本をとりあへず読んでみた方が早いような気がしている。

2016-04-20

週刊ヤングジャンプ 2015年度分レビュー便覧

01 筧美和子(阿部ちづる) 滝口ひかり(古谷完) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p03

02 本田翼( 阿部ちづる) 内田真礼( 中山雅文) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p04

03 バイトAKB( 桑島智輝・門嶋淳矢 ) 飯豊まりえ( 大江麻貴) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p05

04・05 篠田麻里子(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p06

06・07 大島優子(Takeo Dec.) 乃木坂46(桜井玲香、西野七瀬、深川麻衣、若月佑美)(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p07

08 私立恵比寿中学(桑島智輝) 高嶋菜七・櫻井紗季(TPD)( 関純一) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p08

09 サキドルエーストーナメント(石田佳蓮、沢井里奈、武田紗季)(桑島智輝) 馬場ふみか( 中山雅文) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p09

10 最上もが(桑島智輝) 藤澤季美歌(細居幸次郎) http://petri.tdiary.net/20150607.html#p10

11 原石(佐藤美希、松本愛、寺田御子、大貫彩香、朝比奈彩)(大沢玲美、谷口愛理、柳いろは、小林麗菜、片山萌美)( 本編はTakeo Dec.、その他は後藤倫人と藪下剛士。) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p01

12 雨宮天(細居幸次郎) 椎名ひかり(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p02

13 武田玲奈(Takeo Dec.) 山地まり(橋本雅司) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p03

14 西野七瀬(Takeo Dec.) 伊藤万理華(HIROKAZU) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p04

15 有村架純(大江麻貴) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p05

16 向井地美音(西田幸樹) 佐藤麗奈(宮坂浩見) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p06

17 山本彩(門嶋淳矢) 益田恵梨菜(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p07

18 宮脇咲良(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p08

19 乃木坂46アンダーメンバー(細居幸次郎) http://petri.tdiary.net/20151108.html#p09

20 内田真礼(長野博文)  武田玲奈(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p01

21・22 柏木由紀(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p02

23 能年玲奈(桑島智輝・ 白幡敦弘) 石川恋(HIROKAZU) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p03

24 松本愛(HIROKAZU) 天木じゅん(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p04

25 武田玲奈(Takeo Dec.)  梅本静香(桑島智輝) 御伽ねこむ(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p05

26 指原莉乃(桑島智輝) 松岡菜摘(佐藤裕之) 石川恋(HIROKAZU) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p06

27 島崎遥香(川島小鳥) 川本紗矢(小池伸一郎) 佐々木優佳里(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p07

28 齋藤飛鳥(細居幸次郎) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p08

29 御伽ねこむ(桑島智輝) 馬場ふみか(中山雅文) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p09

30 武田玲奈(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151115.html#p10

31 私立恵比寿中学(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20160220.html#p01

32 広瀬すず(細居幸次郎) 宮脇咲良(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20160220.html#p02

33 山本彩、渡辺美優紀、須藤凜々花(山口勝己) 石川恋(HIROKAZU) http://petri.tdiary.net/20160220.html#p03

34 新川優愛(桑島智輝) 生駒里奈(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20160220.html#p04

35 palet( 外山繁) http://petri.tdiary.net/20160221.html#p01

36・37 木崎ゆりあ(山口勝己) 岡田奈々(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20160221.html#p02

38 川本紗矢(小池伸一郎) 結城りおな(西村康) http://petri.tdiary.net/20160221.html#p03

39 石川恋(佐藤裕之) 柳いろは(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20160221.html#p04

40 最上もが(桑島智輝) 松本愛(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20160419.html#p01

41 武田玲奈(Takeo Dec.) 藤原令子(細居幸次郎) http://petri.tdiary.net/20160419.html#p02

42 佐藤美希(Takeo Dec.) 伊藤しほ乃(HIROKAZU) http://petri.tdiary.net/20160419.html#p03

43 松岡菜摘(佐藤裕之) 太田夢莉(門嶋淳矢) http://petri.tdiary.net/20160419.html#p04

44 伊藤萌々香(桑島智輝) 松井珠理奈(渡辺達生) http://petri.tdiary.net/20160419.html#p05 45 篠崎愛(桑島智輝) 内田里央(桑島智輝) http://petri.tdiary.net/20160419.html#p06

46 柏木由紀(TANAKA)  山下エミリー(小池伸一郎) http://petri.tdiary.net/20151018.html#p01

47 牧野真莉愛(長野博文) 佐藤麗奈(細居幸次郎) http://petri.tdiary.net/20151107.html#p01

48 白石麻衣(佐藤裕之) 乃木坂アンダー(北野日菜子、寺田蘭世、中田花奈、中元日芽香、堀未央奈)(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151107.html#p02

49 齋藤飛鳥(細居幸次郎) 星野みなみ(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20151107.html#p03

50 西野七瀬(Takeo Dec.) http://petri.tdiary.net/20160420.html#p01

51 おのののか(Takeo Dec.) 松元絵里花(佐藤裕之) http://petri.tdiary.net/20160420.html#p02

52 馬場ふみか(佐藤裕之) 松田るか(唐木貴央) http://petri.tdiary.net/20160420.html#p03

2016-04-07

光を吸い込むような芝居をする女

連続テレビ小説「あさが来た」に大島優子の出演告知が有った時には、大して期待もしていなかったと言うか、顔見世程度のカメオ出演だと思っていた。

次週予告でチラリと映った時も、口の端を歪めて悪態をつく様に「あぁ大島の憎ったらしい役は巧いな」くらいにしか思わなかったのだけれど、出演回を見て驚いた。 後ろ姿でそれと判る芝居をしていやがる。


波瑠の演じる主人公が教壇から教室に居並ぶ女学生に苦言を呈しているところを後ろから撮ったカット。

周りが頷いたりメモを採ったりする中、大島だけが傲然と毅然の中間くらいの感じで背筋を伸ばし、礼を失しないように聴いてはいるが、「恐れ入ってはおりませんよ」と言う気概を後ろ姿で示している。


女学生も制服ではないものの似たような海老茶式部が並んでいて、大島だけが目立つ服装をしている訳ではないのだけれど、後ろ姿でも一目でそれと判る。 一人だけ芝居が違う。


AKB時代の大島優子は、何もしていなくても突っ立っているだけで判別できる前田敦子とは対照的に、何もしていないと何処にいるか探さないと分からなくなることがあり、それは「大衆に埋没することが出来る」「気配が消せる」と言う点では有益でも、裏を返せば華が無いと言う事でもあった。


それが華の無さを突き詰めて、光を放つのではなく、光を吸い込むような芝居。


否定的な意見も多く目にするが、私は大島を出して良かったと思う。

2015-09-12

GNノートを買うの記

伊東屋で捜しても見付からないので、やむなく丸善でツバメノートを買って使っていたのだけれど、紙が変わって以来どうもしっくり来ない。

取り寄せ可否の確認だけでもしようと伊東屋へ。


客筋も悪いのだけれれど、陳列方法にも問題ありで、売り場は相変わらず荒れ放題。

ノート売り場をざっと見るが、やはり見当たらない。

取り寄せ可能かどうか店員に訊いてみることにした。


GNのA5と言っても紙色や枚数で色々あるのだけれど、私が愛用しているのはクリーム色の紙の一番薄いもの。

店頭在庫の有無を尋ねたら、店頭での扱いは矢張り無いとのこと。


品番を台帳で確認した上で「取り寄せ可能かどうか確認してきます」とバックヤードへ向かう店員。

暫らくして戻って来ると、手には数冊のノートがあった。

店頭在庫を確認→取り寄せの意思確認→台帳の確認そこからの取り寄せ可否の確認かと思っていたら、バックヤードの在庫確認だったようだ。


「四冊在庫がございました」「何冊お入用ですか?」

「これを使いき切ったら、今度は取り寄せになりますか?」と聞くと、申し訳無さそうに「そうなります。」

四冊の在庫をすべて購入し、 店員に礼を言って店を出た。


伊東屋の商いは、店員の中にはまだ生きていた。

他で扱いが無く、伊東屋でしか手に入らなかったものも、取り寄せでならなんとかなるかもしれない。


嬉しかったのは、(以前は当たり前であったが)手垢の付いていないまっさらのノートを買えたこと。

見本として置いてあるものと販売するものが一緒くたになっている現在の陳列方法では望むべくも無い。

2015-07-12

伊東屋新店舗再訪

そろそろ落ち着いたのではないかと出かけて見た。

どうにかしようとしている形跡は見られるのだけれど、どうにもならない、どうにもなっていない虚無と絶望だけが、そこにはあった。

パンドラの匣の底にすら希望はあったが、それすらだにも無い。


一階は相変わらずの人込み。 海外からの観光客の多さを耳から感じる。


エスカレーターで二階「SHERE」へ。

熨斗袋や便箋・封筒などか並ぶ階。

エスカレーターで上がった客はまずこの階から見るので、常に混み合っている。

前回来たときと同じく、陳列してある棚にも商品の見えるところにも価格が表示されていない。 そのため客は手にとって裏返して見なければならず、それが客の数だけ繰り返されるので殆どの商品の陳列は乱れており、したがって店頭にある在庫商品の殆どにも、誰かが触れた形跡がある。

店頭在庫の一番上だけならまだ良いのだけれど、封筒の棚などは一番下まで乱れている。 手垢の付いていないものを見ようとして棚に戻した結果だと思われる。


三階「DESK」、筆記具や事務用品などが置かれている。

ファイルが陳列されている棚が余りにぐちゃぐちゃなので悲しくなり、直していたら通りかかった店員に謝られた。

仕方が無いのだ。 レジには行列が出来ており、時折通りかかる店員も客からの頼まれごとや探し物で手一杯。 乱れた棚を直している余裕は精神的にも時間的にも無い。 明らかに手が足りていない。


四階「MEETING」、ノートやルーズリーフなど「書かれるもの」が並ぶ。

大通りに面した側にオーダーメイドのノートを作れるところがあるのだけれど、窓口の担当者が居なくなるくらいに、こちらも手が足りていない。

レジには行列が出来ているのだけれど、旧店舗や仮店舗の時のように明確な導線が示されておらず、自主的に並ぶ客のモラルでどうにかなっている状態。

見てくれ重視の店舗設計のツケが店員にも客にも回ってきている。

棚面積が限られているところに多様な商品を納めなければならないので、同じ種類でサイズの異なるノートを重ねて陳列。

少ないスペースを生かそうとする苦肉の策ではあると思うが、大きなサイズのノートが欲しい客の側からすると、上に重ねられたノートは邪魔以外の何者でもない。

初老の男性が下からA4のノートを二冊無理矢理引っこ抜いて、ぐちゃぐちゃになった棚はそのままにレジへ向かう。

仕方が無いので棚を直したが、別の客がやって来て、あっと言う間に元の黙阿弥。

直した棚を目の前でぐちゃぐちゃにされるのは気持ちの良いものではないが、それだけ客が苛立っていると言う事でもある。

私などはほんの数十分であるが、店員は日々そうしたことを経験している訳であり、無力感に襲われて乱れた棚に手を付けなくなっても不思議ではない。


五階「TRAVEL」、鞄や皮小物など。

店員がレジ以外にも常に居て、棚にも手を入れている。

ただ、手に取らないと価格が分からないようになっているシステムの弊害はここにもあり、荒れるのと直すのと鼬ごっこの感。


六階「HOME」、家庭用品のセレクトショップの趣。

ここにもレジ要員以外の店員は居るが、商品を手にとって使ってみるような陳列形態になっている為、矢張り手は足りていない。


七階「FINE PEAPER」、紙問屋の竹尾との協業で夥しい量と質の紙見本を陳列。

エスカレーターから降りた客が言葉にならぬ感嘆の声をあげるくらいで、壮観と言えば壮観。

しかし、この階も見えるところに価格表示が無い。

ポストカードや封筒のサンプルが纏められたファイルがあり、それを開くと価格表示があるのだけれど、ファイルの中に価格表示があることを示すものが店内には無い。


そしてファイルの中のサンプルも、よく手に取られるものはヨレヨレになりつつある。

これはまだサンプルだから良いが、他の階にあるファインペーパーの封筒やグムンド社の紙製品などは、商品そのものがヨレヨレになりつつある。

薄汚れてヨレヨレになった紙製品を喜んで買う客は居るだろうか。

私は厭だ。


八階「CRAFT」、旧パピエリウムに近い。

雰囲気として旧店舗時代の伊東屋に似ている。

紙の型抜きなどを実際に試せるのは良いが、ここも手が足りておらず切り抜かれた紙片が床に散乱。 客の靴で運ばれて階段まで紙くずだらけに。

ペーパークラフト講座のようなものが開かれていたので、そちらに人員が裂かれていたのかも知れない。

値札は表に付いているものと裏に付いているものが混在。

裏に付いているものの方がやはり乱雑になりやすい(されやすい)ようだ。


あまりに乱雑になってしまっているものについては直しながら各階を回ったのだけれど、そこで気付いたのが客の商品の扱い方。

品定めをする客と値札を見ようとする客では品物の扱い方が異なり、品物そのものを見ようとする客は静かに棚に戻し、値段をも見るために手に取った客は投げ捨てるように棚に戻す。

手に取らないと値段が分からない苛立ちが、客の振舞いに現れている。


こうした客の行動を観察して商売に生かそうとする取り組みは行われているのだろうか。

商品単価が高い五階から上にはレジ要員+αで人員が配置されているようだが、商品単価は低いが混み合っていて棚が荒れている四階から下にはそうした人員のゆとりはなく、客の行動など観察しても居られないように感じられた。


そう言えば、二階を見て回って三階に上がろうとエスカレーターに向かうところで一階から上がってきた客と鉢合わせ。 向こうは手にジュースを持っていたので、危うくこぼすところであった。


一階でジュースを売っている。 客の幾人かはそのまま持って上に上がる。 上は文房具屋である。 値段は手にとらないと分からない。 さて、どうなるか。

バカでも分かると思うのだが、どうしてこうなったのだろうか。


伊東屋新店舗の最大の問題は、「手垢のついていない商品が無い」と言うこと。

手に取らないと値段が分からないので、さほど興味がなくとも値段を確かめようとすると客は手に取らざるを得ない。

なのでどんな高価な商品でも、手垢にまみれている。


そろそろ売り物にならない店頭在庫も出てくるのではないか。

池波正太郎の万年筆

「池波正太郎の愛した万年筆完全復刻」を謳い文句にした万年筆が売り出されるようだ。

仕様を見たところ腑に落ちないところがあったので、合羽橋道具街の北の端にある池波正太郎記念文庫で使われていた万年筆と筆跡を眺めて来た。

(復刻版のモデルになったものは上田市の池波正太郎真田太平記館所蔵のものであるようなので、同じものではない。)


展示してあったものは、モンブラン一本、ペリカン二本、プラチナのギャザードが一本、非メーカーものが二本。

非メーカーもののうち一本は仕事場を再現したところに置かれており、暗くて良く見えないがエボナイトに黒漆といった趣のもの。

もう一本は朱漆の鎌倉彫みたいな模様のもの。

これは軸の模様にずれているところがあり、よく見ると切れ目があったのでインク止め式。 黒いほうも大きさ太さや用途から考えると、インク止め式であると考えられる。

ただ、趣味の文具箱 No.34 「酒井栄助の万年筆」P121に「実際に愛用した漆黒モデルは、カートリッジ仕様に改造されていた」とあるので、形はインク止め式でありつつカートリッジ式に改造されたものが他にもあるのかもしれない。


キャップに隠れてペン先は見えないが、おそらくペン先は兜木銀次郎の手によるものであると思われる。

ただ、復刻される元になったものは岩本止郎の作とのことなので、氏の来歴から考えるとそちらのペン先はプラチナだったのかも知れない。

(ちなみにこちらも外観はインク止め式。)


飾られていた原稿やノートを見ると、ものによって筆記スピードも字の大きさも太さも違う。

「夜明けのブランデー」に収められた万年筆についての随筆には、新しい仕事の原稿の書きだしには

「どちらかというと細字用の硬質のペンにする。 楷書に近い書体で、ゆっくりと書く。」

原稿が軌道に乗り、乗って来ると

「やわらかくて太い文字が書けるペンにする。」

とあるので、思考と筆記のスピードが吊り合うように、その時々で替えていたのだと思う。 ペンが変わると気分も変わる。


どの万年筆もキャップが付いたままの写真しか見当たらずどのようなペン先が付いているのかは分からないが、昭和50年代の製造と考えると、輸入品ではなく国産のものであったと思われる。


原稿を書いたものは書き出し用でMF、軌道に乗ってからのものはMかBであるように見受けられる。

筆跡を読み解ける人が見れば、より正確な判定になると思う。

再現された書斎には大きめのプロッターが置かれていた事も勘案すると、インクの出は多めと推測。


軸は何れも長さは普通で太目のもの。

エボナイトに漆塗り。

疲れず、手に馴染んで汗で滑ることも無い。


持ち歩くことは無く、仕事場で書くためのものなので、クリップは転がり止め程度の意味合い。


このあたりを前提にして出物を探すなりオーダーするなりすれば、近いものが十万円はかからずに入手出来ると思う。

2015-07-02

嗚呼、伊東屋

新装開店なった銀座の伊東屋本店を見てきた。

「伊東屋本店を見てきた」ではなく、「伊東屋の商いの最期を看取ってきた」と書いたほうがより正しい。


何が何処の売り場にあるのかわかりにくいのは覚悟していた。

しかし「わかりにくい」ではなく「わからない」

売り場案内の電光掲示板みたいなものがあるにはある、立ち止まれないようなところに。

2階がSHARE、3階がDESK、4階がMEETINGetc...

漠然としすぎいて、見てもわからない。


エスカレーターは上りだけ。 下りはエレベーターか階段となるのだけれど、天井が高くなった分、階段が長い。

そしてエスカレーターで上った客が下りて来るので、ほぼ下り専用。

客の動く道筋は考えられていない。


伊東屋は、物を売る店ではなくなっていた。

見えるところに商品の値段を示すものがない。

便箋や封筒なら、手にとって裏返して見ないと分からない。

なので幾つかを比べて撰ぶことが先ず出来ないし、手に取らないと分からないのでほぼ全ての商品には既に誰かが触った形跡があり、整える人手も足りないの棚は雑然。


ノート売り場は無くなっており、棚の片隅に申し訳程度に並べられていたが、背表紙をこちらに向けて立てて陳列。

棚から抜き取らないとそれがどんなノートなのか分からない。

そしてノートの値段は、あろうことか裏表紙をめくらないと分からない。

いつものGNノートを探して探して、漸く見つけたら手垢に薄汚れてヨレヨレになっている。

銀座まで行ってそんなものは買いたくない。


伊東屋は文房具屋としてだけでなく、客商売として終わっていた。

観光客向けの小洒落た土産物屋としてなら存在価値もあるかもしれないが、生憎私はそういうものには用がない。

なんでこうなってしまったのか。


私の好きだった、行けばとりあへずなんとかなった、銀座らしい商いの伊東屋は無くなっていた。

2015-03-02

野に放たれた戸島花の首に鈴を付けた日本棋院に感謝するの記

家人が出かけた隙に、居間のテレビで囲碁フォーカスを視聴。

家が厳しかったのか学校が厳しかったのか、碧の黒髪で化粧っ気も薄くお淑やかだった戸島花がAKB48を辞め大学に入って豹変し、突如ケバケバ路線に転じた際には驚き呆れたのであるが、囲碁大使とやらに任じられて再び「囲碁普及に資するイメージ」と言う軛に繋がれた事で、髪色はさておき服装は落ち着きを取り戻しつつあるようだ。

流行りの髪色、流行りの服装に惹かれるのは当然の事であるのだけれど、やり慣れていないので板に付かないのと、役者としての心構えとしてどんな役にもなれる準備をしておくと言う点が疎かになっているのと、正直だが素直ではないので意見をされても恐らく逆効果であるのと、そんなこんなで距離を置いて傍観していたら思わぬ形で「らしい」良さが生かされていた。

「なりたい自分」「そう在りたい自分」と「求められる自分」とが重ならないことは往々にしてあり、それが戸島花のAKB48以降の紆余曲折に表れていると思うのだけれど、拘りを捨てざるを得なくなって需要と供給が重なった。

星野みちるも、それで漸く売れつつある。

こうなったら日本棋院には更に干渉を強めていただき、髪色や化粧の濃さにまで口を挟んで頂きたい。

対局するシーンが少し流れたが、聡明だが考え過ぎて打ちあぐねる棋風にもまた、微苦笑を誘う戸島らしさがあった。

2015-02-05

立川らく朝「錦鯉」考

立川談四楼師匠の評価は高いようだ。

「錦鯉」に関して、私はそうは思わないので、備忘録的に記しておこうと思う。

集計待ちの講評めいた時間に本人も認めていたが、既存の噺の改作であって新作ではないし、複数の噺からのつまみ食いで一席仕立てるのは掴み込みと言ってあまり褒められた物では無いのだけれど、それを抜きにしても酷い噺だった。


屏風から抜け出た鯉の精の示唆により絵師が願掛けするのが「手の痺れに御利益がある」という「川崎の宿のはずれの観音様」

日本橋から川崎まで4里18町(17.7km)、宿の外れとなるとさらに1.5kmで約20km。 健康な大人の足で1里/hとしても片道5時間、往復10時間。 手に痺れが出て絵筆が握れないところまで進行した糖尿で、町内の歩行すら覚束ない歩行となると、まず辿り着けないし、帰っても来られない。

そもそも絵師の住まいが江戸市中のどの辺りにあったのかすらはっきりしない。

下谷山崎町から麻布古川橋まで歩くだけでも「ずいぶんみんなくたびれ」る訳で、さらに二里弱と言うのは無茶が過ぎる。

毒にも薬にもならない滑稽噺なら多少の矛盾や誇張はあって良いが、薬にすべく作った人情話めいた訓話でのそれはいただけない。


「川崎の宿のはずれの観音様」を「手の痺れに御利益のある神様」としていたのも気になった。

観世音菩薩は言うまでもなく仏様であり、ご利益と言うより霊験とすべきであろう。

言葉撰びが兎に角雑で、推敲した形跡が無い。

絵師、細君、住職、呑み屋の親父、版元、錦鯉の精。 いろんな話からの掴み込みなので、無駄に登場人物やエピソードが多く、脈絡なく出てきて消える。 

この噺の肝は「粗食をして身体を動かせば糖尿は改善する」に在るのだけれど、それを説得力を持たせる為に刈り込んだり練ったりした形跡が無い。


色々書き連ねてきたが、荒唐無稽でも矛盾だらけでも出鱈目でも、客を幻惑させてそれを感じさせなければ良いのである。

それが話芸。

しかし、残念ながらそうではなかった。

手の内が全部見えてしまって、醒めてしまう。 「錦鯉」は、そんな噺だった。