蓮閑話

紅さして乙女うつむく蓮(はちす)かな  ぞうりむし
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蓮の花といえば、誰もが仏教を連想するに違いない。そのせいか、仏教というものが生活の後景へと退いた現代の日本に生きる私たちにとって、インド原産のこの花は、なじみ深いものではあっても、桜や紫陽花などのように身近なものではない。
この見た目の蠱惑的な花は、漢詩に歌われ句歌に詠みこまれていても、私にはやはりどこか異国的なものを感じさせる。
けれども、歳時記を手繰れば句例は思っていたよりも少なくないことがわかる。

蓮の花咲くや淋しき停車場 子規

蓮剪(き)って畳の上に横倒し 鬼城

あか白とうち重なりぬ散蓮華 池内友次郎

なども素晴らしいが、私にとってしっくりくるのは、鬼貫の次の句である。

さはヽヽとはちすをゆする池の亀

想像の世界で釈迦の座ったとされる蓮と、東洋の伝説を背景に持つ亀との取り合わせの妙がそう感じさせるのか。少なくとも、句が写実的にすぐれているから気に入ったわけではない。おそらく、亀という俳句ではあまり見かけない素材が、私にとっての蓮の距離感と見合うからであるかもしれない。
そこまで考えて、はたと思った。二つの題材が無理なくごく自然に調和しているのは、池という場があってこそだ。そのことに気づいて、私はようやく自分の中にある懐かしいものと出会ったような気がした。

ぞうりむし
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写真一口説明

自宅近くのテーマパークにて。
毎年、蓮の花が咲くと、早朝から特別に開園している。
もちろん、カメラを担いでくる人も大勢いる。
朝の清々しい空気を吸いながらの撮影は、とても気持ちの良いものだ。
蓮の花びらのグラデーション掛かった色合いが私は大好きだ。

すきっぱら