薫風


水無月庄内川の水面(みなも)を見つめつつ
影落ちる刹那に風の薫りかな  ぞうりむし

季語は薫風(くんぷう)。三夏(初夏、仲夏、晩夏)に使うことのできる便利な、またそれ故にこそ、詠む者も読む者も等しく試される言葉である。実感や作例がなければ、季語がいくら美しく響いても虚しいだけだろう。
「風薫る」と聞いて、俳句の季語を知らない者なら、梅や桜の香りが舞う春季の風を連想するかもしれない。実はその直観は当たっていて、この言葉が日本の歌語として用いられ始めた時、これは花の香りを指し示す言葉だった。すなわち、梅、桜(春)、花橘(夏)であり、さらには雪の香りに使った例もある。
こうした中世の用例について、季節がいつかなどということはどうでもよい。肝要なのは、いずれの用例も、風が何らかの香りを運ぶものとして意識されていたということであり、風そのものの薫りが主題となってはいなかったということだ。
夏の風を表わす季語として、「風薫る」という遣り方を意識し始めたのは室町後期の連歌師たちで、さらに夏の季語として定着にするに至るのは元禄の頃である。これはすなわち芭蕉の力業(ちからわざ)によるところが大きい。芭蕉による句例は、

  風の香も南に近し最上川

  有難や雪をかをらす南谷

といったもので、それ以前の「風かをる」のニュアンスを踏まえつつ、「南」に心を寄せることによって、初夏の微妙な気配を捉えることに心を砕いていることがわかる。こうした作例によって、「風薫る」の言葉が、そのままで(つまり花の香りなどから切り離されて)夏の気配を伝えるものとなっていった事情を読みとることができる。そして、こうした「風薫る」の伝統を継いだうえで、蕪村が「薫風」という漢詩趣味の語を俳諧に持ち込むことになる。

  薫風やともしたてかねついつくしま  蕪村

ここまでのところで、「風の薫り」が夏を表現していることはご承知頂けたものと思う。ところが、句頭の「影落ちる」が些か腑に落ちにくいかもしれない。日本語には、「影を落とす」という慣用句はあっても、「影が落ちる」という言葉はない。しかし、これは実は文字通りの意味なのである。
どういうことか。
夏の晴れた日、青空が広がった日に戸外に出て周囲を見渡してほしい。そうすると、至る所に鮮やかな黒い影が落ちているはずである。陽射しが強い日には、誰もが涼を求めて影に入ろうとする。陽射しが強いということは、それだけ影も濃いということだ。黒くはっきりとした影は夏に独特の風趣である。そこに季節を感じ取ることができれば、風の薫りも気に留まる。その刹那。
すきっぱらの写真にあるような川面(かわも)であれば、風の薫りと涼しさをよりはっきりと触知することができるだろう。川は庄内川名古屋城中山道を結んでいたいわゆる脇街道五街道以外の主要路)で、下街道という街道に沿って流れている。下街道は別名、善光寺道、伊勢道とも言われる。とすると、写真に写った橋上の人物は、どこかに参ろうとしているのではないか、そんな気配すら漂う。そういえば、薫風の語を俳諧にもたらした蕪村の句も、厳島詣での句ではなかったか。とすると、影を落としている人物は川を見て俳句を詠もうとしているのかもしれない。そんなところまで想像は及ぶ。
色々と想像を巡らせたうえで、もう一度写真と句を味わって頂ければ、これにまさる喜びはない。彼の影が川面に落ちるその瞬間、どこか懐かしい夏の匂いが感じられはしないだろうか。

ぞうりむし
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写真一口説明
庄内川にて夕暮れ時に撮影

すきっぱら