フラッシュバック学生時代

piedra-blanca2010-05-03

7時に目を覚ました彼と友人Kは、前夜遅くまで意味の無いこと(“ゴリラ哲学”についてなど)ばかり語り合ってしまったことを反省しながら朝食をとり、9時過ぎに家を出た。


本日彼らが向かうは鞍馬山


彼らが鞍馬山に登るのは、特に鞍馬に行きたいからだとか、何らかの思い入れがあるからだということではない。


なんとなく山に登ろうと思ったところ、ちょうどいい距離にちょうどいい高さで存在しているのが鞍馬山だったということである。


したがって、叡山鞍馬駅から出た彼らはほとんど休まず、寺にお参りすることもなく、ただただ有意義で無益な会話を貪りながら延々と山道を登った。


気づいた時には、もう反対側の貴船まで下りていた。


午前中なのでまだ観光客も少なく、山道も比較的歩きやすかったにも関わらず、彼らの足はガタガタ。
足を休めることと、込み上げる尿意を解消することを目的として、通り掛かかったところにあった貴船倶楽部というカフェに入った。



そこで食べたバニラとよもぎのアイスは絶品であった。
ここでよもぎ万能説が急浮上するのだが、これといって書き立てることではない。


貴船神社から叡山貴船口駅までの案外長い道程を歩いた彼らは、昼過ぎごろに一旦友人Kの家に帰り着き、そこから自転車で一乗寺のラーメン屋“高安”へと向かった。


高安は鳥ガラをベースとしたラーメンが人気で、メディアの影響もあって最近は休みの日ともなれば常に行列ができているようである。


この日も、昼の時間帯を外して行った彼らの思惑を大きく超えた数の人が行列をなしていて、彼らは、五月の陽気を通り越したぎらぎらの太陽に体力を削られながら待った。
高安のラーメンには、その価値があるからこそである。


店に入った彼らはラーメンとから揚げ、ごはんのセットをむしゃむしゃと食べた。

高安のから揚げは、何と言っても異常にデカイところが特徴である。
それでいて、衣はサクサク、ほんのりついたカレー味もおいしい。


彼は、ゴールデンウィークもせっせと働いているめんまるさんがから揚げを愛して止まないことを思い出し、お土産に高安のから揚げをテイクアウトした。


普通、わざわざ京都まで来てラーメン屋のから揚げなどお土産に持って帰ったりはしないだろうし、Kの両親にも驚かれたが、これは彼とめんまるさんの関係と京都で培った日々があればこそのチョイスだと言えるだろう。



それはさておき、高安を出た彼らは三条へ向かった。
それも蛸薬師のLOFTで弁当箱を買うことが目的だったのだが、何故か彼らは不必要にいろいろなところをぶらぶらした。
そしてあやふやな内容の会話と、会話とも思えぬ素っ頓狂なやり取りを繰り返しながら、気づけば3時間以上を過ごしていた。


この日の会話の中で唯一有益なものだと思われたのは、「多分ぼくらは30才になっても会ったらこんな話ばかりしているのだろう」ということだけである。


唯一有益な話の内容が、“きっとこの先もずっと無益な会話ばかりするだろう”という見通しだったということには、もはや呆れを通り越して脱帽せざるをえない。


果たして、彼ら以外のたくさんの人々は、友人とそんなにくだらない話ばかりしているのか。
そして、あるときを境にそんなにください話をしないようになるのか。
もしそれを“大人になる”と表現するのであれば、彼らはいつ大人になるのだろうか。


それが、目下のところ彼らの疑問である。


しかし彼本人は、そのことに少なからず安堵をおぼえている。
どんなに環境が変わっても、もう二度と戻れなくても、現在の彼は学生の彼の延長線上にいて、すこしもぶれる事なく彼のままだということが確認できたからである。