完全にしたいという欲求

Webは情報にあふれている。ニュースや論評だけではなく、画像や動画など、様々なコンテンツが日夜アップされ、Webにコミュニケーションを生み、活気と価値を提供している。
Webのあらゆるニュースやコンテンツを網羅したいという気持ちは、誰もが一度くらい思うことだろう。それは、自分にとってそれらが有用であるだけでなく、単純に満足感がある。Web上で価値ある情報を収集できている自分自身に。
小学校の頃、いかにノートを効率的にうまく使うか、ということが一つの目標だった。後から見ても見やすい、すばらしい情報にしたいなと思った。それは結局完成しなかったどころか、今でもノートは全然うまく使えないのだが、その頃から、情報をうまく扱うにはどうすればいいのか、などと考えていたものだ。完璧主義というべきものなのだろうか、そういう気持ちがあった。
Webという世界に触れ、情報量が半端無いことに驚いた。これらを把握できれば、俺ってすげえ人間になれるんじゃね?という漠然とした達成感を求め、情報収集にいそしんだ。そして何度も挫折した。そういったことに興味がない人から見れば、ある意味病的にも見えるほど、情報をうまく扱いたいと思った。完全にしたいという気持ちは今でも失せない。より効率的に、より万能な形でWebサービスが進化していけばいいなあと思う。
ふと現状を省みるに、いかにそれをうまく自分ができていないかに気づかされて少し凹む。新たな情報を探索したり、うまく使えるようにするには色々と心理的コストや手間などがかかり、そこまでして得たいものなのかと思ったりする。しかし、得ていない何か未知のモノが、自分にとってとても価値のあるものではないか・・・・などと想像すると、身もだえし、やっぱり情報収集レベルはあげていかないと、と思い直す。今、RSSを活用している層はそういう人たちなのかもしれないとも思ったりする。
情報収集か・・・ニュースなどはRSSが便利だが・・・画像や動画のアンテナが弱いな圧倒的に。何とかしないとと思いつつ、あー面倒だゲームしたいという葛藤。PCの前にいるときは、そんな葛藤が日夜ある。