夢のまた夢(Corpus of Dreams)

どんな夢を見た?

そう問われたとしたら、彼は少しとまどいながら、でも確かな実感をもって、というか夢にそんな手応えを感じてしまっていることに困惑しながら、しかしはっきりとした口調で、だけど記憶を探りさぐり、つまりは、まあ、人が前の晩にみた夢のはなしをするときによくあるあの調子で、つぎのように答えたことだろう。機械の夢だ。

機械?

聞き返されたら、彼はややひるんで、話しはじめたときには抱いていたはずの実感が薄れていることに気づいて、そもそもそんな実感が存在したのかということ自体を疑いながら、でもどこかでふっきれたように、言い直すのだった。機械なんだ、俺も君も。

ロボットってこと?

夢のなかでは機械人と呼ばれていた。

誰が呼ばれてたの?

だから、俺や君が。

あたしも夢に出たんだ?

うん。

夢のなかでも、あたしたちは夫婦だった?

うん、いや、どうだったか……

なーに、なんでそこをあいまいにするの?

はっきりとおぼえてないんだよ、夢の話なんだから。

“あなたの”夢の話なんだから、間違ったことを言っても、それが間違いだとわかるのは夢見たあなただけでしょ? ならはっきり言い切っちゃっていいじゃない。

それはそうかもしれない。

それで、どうだったの?

ああ。夢のなかでも、俺と君はこうして会話をしていた。

ちょっとちょっと。

どうした。

はなしてただけ?

不満?

夢でもあたしたちが愛し合っていたかどうかを訊いたのに。

愛し合っていたかどうかはわからない。

愛してなかったんだ?

夢見ていた俺と、夢のなかの俺は完全に同じじゃなかったんだ。心のなかまではわからない。

愛しているかどうかって、心のなかまでのぞかないとわからないものかな?

ううん?

あたしがあなたを愛していることは、あなたからはわからない?

愛しているのか?

愛してるわよ。

今わかった。

それでいいの?

不満?

不満。

ううん、どうすればいいんだ。

まあいいけど。とにかく、夢のなかでもあたしたちはおはなししてたわけね? 今みたいに。

ああ、今みたいに。彼ははっきりとそう言い切ることができた。夢のなかの話だから、彼しか知らないことだから、わからないままでも言い切ったというわけではない。彼は確かにおぼえていた。一度起きかけたときに見ていた夢で、彼らは言葉を交わしていた。そんな夢を見た実感があった。その実感を、二度寝から起きる間際の夢のなかにも持ち越した。そして、その夢をおぼえていたまま二度寝の夢から覚めることができた。

倉谷範人(くらやはんと)が目覚めれば、ダイニングキッチンから食器がこすれる音が聞こえた。そのあとには蛇口から落ちる水音が続いた。はっとして彼は枕元の時計を見た。息子が部活の朝練のために、家を出る時間だった。彼はあわてて眼鏡をかけて起き上がった。

ダイニングのテーブルには彼の分の朝食が用意されていた。用意した本人が使った食器はすでにシンクのなかだった。朝食を済ませた息子は隣室の仏壇に手を合わせていた。その背中に彼は声をかけた。

「おはよう。悪い、今朝は俺が当番だったのに」
「いいよ、昨日も遅かったんでしょ」

ふりむいた少年の顔は、その肩越しに見える妻の遺影と瓜二つに見えた。観(みえる)の存在は華(はな)の不在を意識させた。

「じゃあ、いってきます」

と言って息子は床に置いていたスポーツバッグを取り上げた。

息子を見送ると、範人は寝ぼけ眼のまま、用意してもらった朝食に手をつけた。

テレビのスイッチを入れれば、朝のニュース番組はここ一週間ずっとそうだったように、“機械化病”が原因で死亡したという疑いが持たれている女性を取り扱っていた。意味不明の奇病による前代未聞の怪死のはずなのだが、その出来事がいかに突飛なものでも、その異常を主張する口吻はいつだっていつも通りだった。そのうえそれが何度もくり返された。女性の(元?)恋人だという青年への取材映像だって、範人は一週間のうちに同じものを何度も見た。

人類に例のない不幸を背負ったらしいその青年の顔を見るたび範人が思うのはやはり、ありふれた表情だということだった。

愛する者を失って、そのことの理由も意味も、自分へ与える影響すら判然と理解できていないという顔。というか、失ったものがなんなのかをわかりかねているという顔。そもそも失うってなんだ? 失うなんて言い方で今のこの状況を言い表わせているのか? と言ってるこの状況とやらについてどこのだれがなにを知ってるって言うんだ? という顔は、範人にとって見慣れたものだった。鏡を見ればいつも映っている。

十年前、機械化病の存在が公になるのと前後して、倉谷華は入院したのだった。彼女の病気と機械化とはかかわりがなかったが、時期が近いとどうしてもそういう思い出し方になる。人が生きていれば、その生へ世間は否応なく侵入してくる。WHOによる“機械化病”の認定は事件だった。世間の騒ぎ方は世界の終わりかと思われた。

もちろん、範人がそう思ったわけではない。彼はそれどころではなかった。テレビのニュースもろくに見ていなかった。だがそれでも、社会と無関係ではなかった。

華が亡くなったのは、機械化病の流行が終息するころである。

機械化病の症状は次のようなものだ。人間の身体の一部が、ねじやばねや歯車や……とにかく金属製の機械部品に置き換わってしまう。置き換わったことで、置き換わった身体器官の機能にはなんの障害も現われない。命に別状はない(とされていた、少なくともこれまでの話では)。そのうえ死ぬまで健康に影響はない。肉と鉄では比重が違うが、発症後大きく体重が変わることもない。体積も。見た目が変わらないわけだから、素人が外から見るかぎり、いや医者本人だって自分の体内の機械化には気づけない。空港にあるような金属探知機にも引っかからない。

それは本当に金属か? 機械化病患者から外科手術によって取り出された機械化部位は確かに金属なのだという。でも、元の身体へ戻して傷口を縫ってしまえば、ちゃんと器官として機能する(別人の身体だとただの金属のままで、つまり、機械化臓器の移植はできない、らしい)。手術前後で患者に何の変わりもない。とは言ってもそれを確かめるだけのために病院へ行くという人はほとんどいない。非接触非破壊の機械化検査は充分信用に足りる精度だし、機械化病検査目的の手術に保険は適用されないからだ。

機械化病そのものには流行り廃りはない。あるとしても知られようがない。人体の機械化のメカニズム(という言い方に範人はいつも少し笑ってしまう)が解明されていないのだから。実際、罹患者数は増える一方であるはずだ。減りようがない。有効な治療法は見つかっていないのだから。

罹患者は増えているはずだと曖昧に言われるのは、機械化病には暗数がやたらに多いからだ。そのことからもわかるとおり、人間は機械化病に興味を失っていた。認知から二年足らずで機械化に対する人々の態度は冷めた。流行の終息というのは、そういうことだ。

そして八年近くが経って、機械化病はすっかり風化した話題だった。機械化以外に死因が見当たらないという死体が見つかるまでは。

見つけると、見なかったことにはできないということになる。少なくともそういう気にはなる。ついさっきまで見ていなかったということが見失われる。思い出せば、忘れていたということが忘れられる。リバイバルすれば、それまでのサバイバルが殺される。

一度、範人も機械化の検査(当然、非破壊で済むほうだ)を受けたことがある。妻の二度めの手術のあいだ、彼は時間を持てあましていたのだった。息子は立ち会っていなかったので、話し相手もいなかった。検査は、そのころにはもうほとんど待ち時間なしで受けられた。結果もすぐさま知らされた。

範人の両眼の組織はほぼすべて機械に換わっており、あとは四肢末端の毛細血管の機械化が確認された。一般に機械化部分は(機械化以外の)疾病から免れることが知られており、時には機械化以前よりその部分の機能が強化される場合さえある。近眼だった範人の場合、視力の回復こそなかったものの、それ以上に視力は下がらず、緑内障その他の眼疾患が起こることもないはずだ、ということだった。また、言われてみれば、成人してからの宿痾だった末端冷え症を感じることも減っていた。機械化病によって“治って”いたようだった。

「そういう人も少なくないんですよ。こう言ってもなんですが、“当たり”ですね」

検査を担当した若い医師は範人に向かってそのように言った。ところで、そのときまさに手術の最中だった華の身体もある程度機械化していたのだが、彼女の痼疾にかかわる器官にはまったく機械化は及んでいなかった。だから病んだ臓器はずっと彼女を苛み、結局は死に至らしめた。こちらの場合は“外れ”ということになる。

当たりを引いたから彼は生きていて、外れを引いた彼女は死んでしまった。範人は時折そんなふうに考えることがある。でもこれは間違っているのだろう。

機械化病は彼らの人生に大した影響を与えるものではないし、人の生死は当たり外れのあるくじのようなものではない。当たり外れが時間の問題でしかないようなものをくじと呼ぶ気にはなれない。

くじということなら、もっと根源的なくじがいつかどこかで引かれているはずだった。そして彼も彼女もそのくじに当たっていたのだ。だから彼らは出会ったし、出会ったことでまた別のくじが引かれた。

人生の両端たる生死の理由はわからず、その意味はわかりようがないのかもしれなかったが、そのあいだのことはわからないでもなかった。それは夢ではなかった。いや、両端こそが正真に確実なのであれば、あいだこそが夢なのかもしれなかった。しかし、それならそれで構わなかった。

範人が考えているのは息子のことだった。妻の一度めの手術のときのことを思い出したのだ。それには息子も立ち会っていた。

二度めがあったわけだから、その手術は成功した。少なくとも大過はなかった。華の青ざめた寝顔を見たあと、倉谷父子は病院から自宅まで歩いて帰った。夜道だった。

観は暗闇が怖くて、父親の手を強く握っていた。しばらく歩いてから彼は父へ質問した。

「死んだら、どうなるの?」

突然の問いに、範人の鼓動は早まった。子を持ってから六年足らずの若い父親は、そのとき疲労しきっていて、頭をうまく働かせられなかった。

「死んだらって、誰が死んだら」
「ぼくが」

少年は答えた。

そっちか。父親は安心さえして、笑い交じりに答えた。

「観はまだ死なないよー」
「でも、いつかは死ぬでしょ?」
「お父さんのほうが先だろうね」
「お父さんが死んだあと、ぼくも死ぬんだよね?」

頑是無いしつこさはこの年頃の児童にありがちだろう。けれどいつになく強まった息子の握力に、青年は思わず足を止めた。

彼はしゃがみ込んで、息子と目を合わせた。そこでやっと、我が子が泣いていたことに気づいた。少年の頬が濡れていたわけではない。ナクというのは、涙を流すことではない。

「死んだらどうなるの? 死ぬっていなくなるってこと? いなくなるってどういうこと?」

泣きながら、観は問いを繰り返した。声は小さかった。しかし父の耳にはよく聞こえた。

人は死んだらどうなるか。子供はどうやって生まれるのか。神がいるとしたらなぜこの世に悪はあるのか。なぜ頼みもしないのに自分を産んだのか。なぜ人を殺してはいけないのか。勝手に自分の部屋へ入るなと言ったではないか、あまつさえ秘蔵の本を机の上に並べるなど誰が頼んだというか。

それらのFAQについて、妊娠中の倉谷夫妻はたわむれに疑似試問をしたことがあった。華は頭の良い女性だったから、質問する我が子の性別、年齢別、質問時の状況別に、対応のバリエーションをいくつも披露した。口べたな範人にはできない真似だ。それでも妻の腹をなでながら、自分なりの答えを用意しようと決意はしたはずだった。

FAQが実際に息子から問われてみると、父親の想定問答はすっかり吹き飛んでしまっていた。

「……観も、死ぬ。だけど、それは、ずっと先だ」

範人はかろうじてそれだけ答えた。

「でも」
「でも」彼は言いさして立ち上がった。握りしめた小さな手を引っ張るようにして、歩みを再開した。

でも? そのあとをどう続ければ良いのか、彼にはまったく見当がつかなかった。

「……お母さんは、人は死んだら、また別の人に生まれ変わるんだって」

すっかり黙り込んでしまった父親の顔を下から覗き込んで、観は問いを発展させた。

「それって本当?」
「お母さんがそう言ったのか」
「うん」
「じゃあ、本当なんじゃないか」
「でも」
「でも?」

「ぼくは誰かの生まれ変わりなの? 誰の? ぼくは全然おぼえてない。ぼくが死んで生まれ変わったら、死ぬまえのぼくをおぼえていられないってこと?」
「そうかもしれない」
「ぼくは誰の生まれ変わりなの? 誰に生まれ変わるの? わからないのは、こわくない? わからないから、死ぬのがこわい。暗くて、向こうに何があるのかわからないのと同じくらい、死ぬのがこわい」

範人は答えられなかった。

そこですっかり言葉に詰まってしまい、どうしようもなくなった、と範人は思っていた。しかし実は、父は息子に、絞り出すようにして、答えを返していた。範人は次の日には忘れてしまっていたのだが、観のほうはそれをおぼえていた。範人はこう言ったのだ。

「お父さんも自分が、生まれるまえは誰だったのか、死んだあとは誰になるのか、わからない。お父さんのまえの誰かとか、あとの誰かとか言える誰かがいるのかどうかも知らない。解きようのない謎だ。きっと死ぬまでわからないと思うよ、観。わかってしまうのは危険かもしれない。だから、お父さんは、暗いほうがこわい。暗くて、何か危ないものが見えていないかもしれないことのほうがこわい」

この答えは、理屈や言葉遣いがどうというより、観にとって重要なポイントを外していたために、彼を納得させるものではなかった。けれど、こう言われて少年は黙り込んだ。

父親のほうはといえば、子供の純真さを封殺してしまったような気がしてバツが悪く、と同時に問答が終わったことに少し安心して、安心してしまったこと自体がなんだか座り悪かった。そして口に出したこととともに、それらの飲み込めなさをすっかり忘却した。

ただ、息子が死と暗闇への恐怖を訴えたことだけが印象に残った。

ところで、倉谷観はもう暗闇が怖くない。

部活帰り、コンビニのまえで同級生や後輩と別れてから自宅へ向かう道のりがどんなに暗くても、どんなに暗いといっても町中なのだから暗さもたかが知れているわけだし、まったく恐れを感じない。当然だ。もう中学生なのだから。暗闇の向こうに恐れるべきものなどさしてないことをもう知っているのだ。と、彼はそう思っていた。

一方で彼はまた、死の恐怖をすっかり忘れてもいた。死にたくないと思っていたことはおぼえている。それを両親に、一度ずつ別々の機会に話したこともおぼえている。彼らが恐怖を拭い去ってくれないのを、不満に思ったこともおぼえている。

自分がこんなに死に怯えているのに、両親を含めた周囲の人間は、大人も子供も、まったく平気そうなのが不思議でならなかったこともおぼえている。もちろん、少年は少年自身の死を他人に怖がってもらいたかったのではない。他人それぞれがそれぞれの死を怖がっていてしかるべきなのに、少年から見るかぎり、彼らは大して死を怖がっていないようだった。それが不思議だった。

彼が両親に求めていたのは、死への理屈づけではなく、理屈があろうがなかろうが拭いがたい死の恐怖を共有することだったのだが、ふたりは息子の言葉に慌てているだけで、肝心の実感を抱いているようには見えなかった。それが不満の実体だったこともおぼえている。

だがいまや彼は二つの意味で、そのような疑問や不満を失った。まず、現実に、彼にとって死の恐怖自体が遠いものになってしまったから、その恐怖から派生する疑問も抱かなくなった。そして、他人が感じている(はずの)死の恐怖を理解することの難しさ、というより不可能を知った。観にとって、十年近く前の自分などもはやほとんど他人のようなものだが、彼が感じていた死への怯えのことは確かに記憶していても、その実感をおもいだすことはもうできない。機械化した内臓のようなものだ。体内にあるときはちゃんと働いていたが、取り出すとただの金属部品のかたまりなのだ。ほかの身体へ入れてみてもうまく働かない。機械化器官の移植は不可能だという。

観はもう暗闇が怖くないから、学校のある高台から下る長い坂道が商店街へ入る手前で、街灯の光りが届かない塀と塀の隙間に入り込むことができる。その路地から、住んでいる集合住宅の駐車場へ出るのが彼の家路の近道なのだ。同級生にはその道が通れないものもいる。夜には真っ暗になり恐ろしいからではなく、狭いからだ。観もそろそろ瀬戸際の体格になりつつあった。

その晩はセーフだった。しかし、通り抜けることはできたが、路地から出た直後、暗がりにあったなにかを突き飛ばしてしまった。なにかやわらかいもので、前へ倒れこみながら声を上げるものだった。人体だ。女性の声だった。

「あ、すみません」

観は敬語で謝ってみたが、駐車場にまばらに立っている灯りが届くか届かないかのところで、四つん這いから立ち上がった相手は中学生くらいと思われた。彼女は手から離れたビニール袋を拾うと、こちらへ顔を向けた。

「いいえ、あたしも全然気がつかなくて……あれ、倉谷くん?」

名前を呼ばれて、観はやっと彼女がクラスメートらしいことに気がついた。暗闇のなかで目をこらす。見覚えがあるようにも思える。しかし、観は人の名前をおぼえるのが苦手で、この春から同じクラスになった女子の顔と名前をまったく一致させていなかった。実を言えば男子のほうも、半分はおぼえていない。

「間違ってたらごめんなさい、倉谷くんだよね?」
「ああ。うん、いや、ごめん」
「ううん、あたしもぼおっとしてたから」

観が謝ったのは突き飛ばしてしまったことではなかったが、誤解されたのならそのほうが良かった。

そのおとなしい声を聞いていると、かろうじて名字が思い出せそうだった。坂巻だったか。巻坂だったかもしれない。観より出席番号が後ろであることは確かだ。

観のおぼえの悪さはもちろんだが、目の前の坂巻坂(どっちかわからないので混ぜてみた)にしたところで、今まで同級生の印象に残るような成功や失態や「ちょっと男子まじめにやりなさいよー」があったようなタイプには見えなかった。

「倉谷くん、部活帰り?」
「そう。坂ま、さ……」
「え?」
「ま……そっちはなにしてたんだよ」
「うーん、ちょっと……空を見てて」

言われて、観は天を仰いだ。なにも見えなかった。星だってろくに見えない。下界の明かりが邪魔をするということもあるし、観の目は近視が進行しているのだった。視力検査のときはランドルト環の隙間を勘で当てていたから、眼鏡をかけるように言われたことはまだなかった。眼鏡をかけるのは、父親に似てしまう気がして、少し嫌だった。

なにも見えないからというわけではないが、観には、闇の向こうにわざわざ見るようなものがあるとは思えなかった。仮にあったとして、だから例えば天文観測が趣味なのだとして、こんな駐車場で見るものだろうか。

観が視線を戻すと、坂巻坂も上を向いていた。観に見えないものが見えているのか、見ようとしているだけか。見えているふりをしているのかもしれず、見ようとしているふりということもありえた。ひょっとすると、彼女は見ているだけではなく見られてもおり、だから彼女はなにかを見返しているという可能性だってあった。

観は、彼にとってかろうじて見えるものを見ていた。見ようとするだけでなく、見えているふりをするのではなく、まして見返しているのではなおさらなかったが、見ていた。

坂巻坂はずっと空を見ていたわけではなかったので、観が彼女を見つめていたのも短いあいだだった。彼女は牛乳を買った帰りにちょっと立ち止まっていただけで、ここで空を見るために外へ出ていたのではなかった。

二人は別の棟に住んでいるので、並んで歩くこともなく駐車場でわかれた。わかれる際、じゃあまた明日、と彼女に言われて観は頷いたが、また明日にどうなるのかと思いもした。同じ教室で同じ授業を受けるだけのことではないか。

観は帰宅するとすぐに、彼の今のクラスの学級通信の第一号を探した。坂巻坂、ではなく坂巻加奈の名前を調べるためだった。クラスの教卓には座席表があるから、明くる朝に登校すればわかることだったのだが、その晩じゅうに知りたかったのだ。

観は、学級通信にかぎらずホームルームで配られるプリント類は父の目に触れるようダイニングのテーブルに置いておくだけだったから、学級通信がどこにしまわれているのか知らなかった。父の性格からして読んだはしから捨てているとは思われず、だから探す気になったのだが、同時に、ていねいにファイリングして保管するわけがないとも思っていた。結局、母の仏壇のある部屋の机の抽斗で見つけた。

探している間に父が帰ってきたら、何をどうして探しているのか説明するのが面倒だと観は思ったが、範人の帰宅は日が変わってからだった。倉谷家のカレンダーでは、明日の朝食作りや洗濯は範人がすることになっていたが、観は自分がやるのだろうと思っていた。そして実際、次の日の朝には範人より観のほうが早く起きたのだった。彼は夢を見ていなくて、二度寝もしなかった。元々寝汚いほうではなかったが、その朝は特にすっきりと目覚めた。夢見ている場合ではないのだった。

あるいは、別の夢を見なければならなかった。