無断言及禁止の論理

無断リンク禁止」という言葉がよく用いられますが、アンカータグを用いた「リンク」であるかどうかはあまり本質ではなくて、早い話、言及先がどこに存在しているのか(言及した時点でどこに存在していたのか)が判るような形での「言及」に置き換えても同じことと思うので、ひっくるめて「無断言及禁止」という言葉をここでは用います。また、「無断」は、よく「許可なく」の意味で解釈する人もいますが、「許可しない」とは「拘束力をもって排除する可能性を否定しない」であって、ネットでは自分のサイトの記事を存続させたまま相手からの言及を「拘束力をもって排除する」ことは無理なので、ここでは拡大解釈することなく字面のままに「断りなく」つまり「事前の通告なく」と解釈します。

では、無断言及禁止を宣言するサイトは、なぜ言及される際に事前の通告を必要とするのでしょう。本人たちに直接聞いたとしても、中には筋の通らないことを返答する人もいることと思います。しかし、本人たちが口先で何を言おうとも、他にも筋の通る理由が存在しているのならば、禁止宣言が無効ということにはなりません。本人たちは漠然と筋の通る理由が存在していることを感じてはいるものの、具体的に言葉に出来ていないだけという可能性も否定できないからです。

ところで、「言及」とはなんでしょう。よく「公表されたものに対して言及する」という言葉を耳にしますが、「公表されたもの」についてはちょっと注意が必要かと思います。つまり、「今現在において公表された状態にあるもの」と「過去に公表された状態にあったものの現在は存在しないもの」の違いです。例えば、新聞記事や学術雑誌に掲載された論文などは、発行されてしまえば回収は事実上不可能なので、「公表されたもの」と表現したとしても前者の状態にあることは明白です。一方、ネットでの記事などは、管理者が削除するなり内容を書き換えたりすれば、それまで公表されていた内容は存在しなくなりますので、記事を公表しているサイトの管理者の裁量のもとでいつでも後者の状態に移行することが可能です。引用の要件を満たすことなく未承諾のままに他サイトにコピーされたものについては、その内容に責任を負うのは、オリジナルを書いて公表した人ではなく、それを未承諾のまま掲載しているサイトということになるでしょう。

もう一つの注目したいのは、上で述べた後者の状態にあるもの、つまり「過去に公表された状態にあったものの現在は存在しないもの」に対して言及をすることは可能か否かという観点です。というか、言及した時点で言及先が存在していないのならば、言及したことにはならないでしょう。言及した時点で言及先が存在していて、その後に言及先が消滅したのならば話は別ですけど。

本題に戻ります。

ネットに公表されているものには、内容に誤りが含まれる場合もあろうことと思います。コンテンツを閲覧する人にとって、内容に誤りが含まれている可能性があることを具体的な根拠をもって指摘する言及は、そのコンテンツの内容を鵜呑みにするかどうかを判断するうえで有用な情報となるでしょう。もしかしたら、コンテンツを公表する側の人にとっては、閲覧者に鵜呑みにしてもらってこそコンテンツを公表することに意義が生じるという面もあるのかもしれません。しかし、言及するのに言及先のコンテンツを公開した人から許可をとる必要があることを結論として導く論理の構築に成功した人はいないような気がします。

もしもそれが本当ならば、現状として、コンテンツの公開を通して何らかの内容を公表した側にとって、誰かがその内容に対して言及をすることを意思決定した場合に採れる選択肢は、コンテンツの内容を変化させることなく言及されるがままにする、コンテンツの存在あるいは内容を変化させることによって言及先を消滅させる、の2つということになります。

一方、言及することを意思決定した側の人が採れる選択肢はなんでしょう。言及する前に言及先が消滅してしまっては言及するという選択は出来ませんので、もしも相手が言及先を消滅させないのならば言及をする、というたった1つの選択肢しかありません。

つまり、言及の手順としては、以下のフェーズに従う形になることでしょう。

  • 言及する側が、あるコンテンツの内容に言及することを意思決定する。
  • 言及される側が、そのコンテンツの内容を必要ならば言及先として成立しない形に変化させる。
  • 言及する側が、そのコンテンツの内容が言及先として成立する形で存続しているならば、言及をする。

さて、ここで問題になるのが、各フェーズがいつ完了したのかの判断です。本来ならば、第1フェーズ完了を知らせる意味で、言及をする側がされる側に言及することを意思決定した旨を通告し、言及される側は、コンテンツの内容を変化させることなく直接、あるいは、通告を無視する形で暗黙のうちに「どうぞご自由に」と返答をしたり、あるいは、コンテンツの内容を変化させるなりする形で、第2フェーズが完了したことを伝えるということになるでしょう。

しかし、わざわざ言及の意思決定を通告してもらわなくても、いつでも「どうぞご自由に」という立場の人がいた場合、第1フェーズ完了の通告を受けることを煩わしく思い、これを回避するために、第1フェーズの前にもう1つのフェーズを設ける人が現れるのはごく自然な流れとなります。つまり、

  • 言及される側が、言及する側からの言及の意思決定の通告を必要とするか否かを意思決定する。

というフェーズです。そして、このフェーズの完了を伝える方法として登場したのが、「リンクフリー」宣言であったり、「無断リンク禁止」宣言ということになるのではないでしょうか。さらに言えば、現状では、もしかしたら、無言をもって「リンクフリー」宣言とするというような合意形成もある程度は進んでいるかもしれません。

まとめます。

無断言及禁止の宣言に異を唱える人の中には、第1フェーズ完了の通告は本来する必要のないものであると主張する人もいます。しかし、上に述べたように、本来はする必要のあるものであって、言及される側の無言をもっての「通告の必要性」の解除があって初めて、する必要がなくなるという性質のものであると言えそうです。そして、無断言及の禁止を宣言することは、言及の手順を何ら侵すものではない正当なものであると言えるような気がします。

言及レス

発端の「書き残す」はじつに重要で、

賛同と批判〜削除がもっとも悪だと思う - ネットランダム改

それがfk_2000さんにとってじつに重要なことであったとしても、肝心の「なぜ他の人がfk_2000さんにとってじつに重要なことをしなければならないのか」についての説明がどこにも見当たらないような気がします。

削除する自由を奪う無許可リンクはだめですよねってことか。削除する自由を確保したいと。

レスいただいたので - ネットランダム改

リンクや言及は相手を選んでなす行為であるのに対して、削除は相手を選んでなす行為ではないので、誰かに対する嫌がらせとは無縁という意味で、もともと削除するのは削除する側の自由なのですけど。というか、無許可リンクをされると削除する自由が奪われるだとか、fk_2000さんの謎深い発想にはちょっとついていけないものを感じます。