お餅つき

今日は俺の母方の実家のお餅つきにおじゃまさせていただいた。
つきたてのお餅を食べられる機会なんてなかなかなく、うちのぼんは興味津々。
味付けはきなこ、納豆、小豆、大根おろしの4種。
今年の正月の目標は「正月太りしない!」だったけど、早速誘惑に負けて腹いっぱい食べてしまった…。
ぼんも納豆が気に入ったらしく、すげー食ってた。
あー美味しかった〜

仕事に対する自分のスタンスの若干の軌道修正

「俺が一人で考えること」のカテゴリに入っているコンテンツは、ほぼ全て単なる俺のストレス解消(心の整理ともいう)のためのものなので、もし俺のこの日記を読んでいる奇特な人がいたら、読み飛ばすがよろしい。



職場で俺の周りにいる人たちって、結構熱い人たちが多い。
ってゆぅか、熱苦しいくらい。
会議とかでも意見がぶつかって、一見穏やかだけど半分ケンカみたいになってることなんかもあったりする。
そーゆー場所に居合わせると、「……うわぁ。」と一歩ひいてしまう自分、それが俺。
何がんばっちゃってんの、みたいな。
正直その議論、答えどっちでもいいんじゃないですか、みたいな。
まぁ議論の方向性そのものがそもそもずれちゃってて、本当に不毛な時間だったりすることもあるけど、そうじゃない場合(すなわち割りに熱く、全うな議論をしている場合)でも、俺は傍観してしまう。


すなわち、俺は今まで仕事に情熱を傾けたことがほとんどなくて(何年か前にちょっとあったけど)、求められていることを最小限の力で最短の時間でクリアして、定時で家に帰ることが最重要ミッションだったりするわけだ。
かつて、とっても熱い偉い人に、「アンタも自分の仕事に対する想いってのを持って、それを信じて進んでいきなさい」と言われたことがある。
あー、アンタいいとこついてるわ。そこ、完全に欠如してますわ、俺。と思ったことをよく覚えている。



正直今でもよくわかんないんだけど、自分の意見を声高々に表明して、しかもちゃんと理屈もあって、手際よく実現に向けて進めていくその姿ってのは、すげー仕事ができる。
……ように見える。一見。
「ちゃんと自分の意見を持つこと」
それは確かに大切かもしれないけど、果たしてそれが正解なのか、と聞かれれば、後ろ(過去)を振り返ると、意外に「いや、あの時はそれっぽい流れがあって、みんな正しいと思ってそうしたけど、今となってはビミョーだよな」ってことが結構あったりするわけだ。



とか書きながらも、決して俺は「正解」を必ずしも追い求めているような求道者じゃねぇし。
そもそも正解ってなんだよ。誰が採点するんだ。
何が正解で何が不正解なのか、それはその時その時のご時勢によって判断基準がぶれるわけだから、正直いってこの議論をすすめることこそが不毛な時間だ。
魔女裁判がいい例だわ。
結局その時に「現時点ではこの判断が最良だろう」という答え(正解かどうかは知らん答え)を自分で考えるなり議論するなりで導くしかないわけだ。
正直いって面倒くさい。



なんか話がずれてきた気がするのでちょっと戻すと、自分が今取り組んでいる仕事に対してどんな意見を持つのか、そもそも自分の意見をちゃんと持つことに何の意味があるのか。
この場合の意味ってのは一般論でいう「こうあるべき」ってことじゃなくて。
そんなこと全然キョーミなくて。
俺自身がどうのぞむべきか、ってのが大変重要なところで。
ああそうか、書きなぐりながらちょっと思ったけど、「どうすれば俺がラクにやれるか」ってことかも。



当然、なぜか「自分の意見をしっかり持っていること」を期待する周囲の空気は敏感に感じられたので、だから俺は「一見」自分の意見をしっかり持っているような「フリ」をしてきた感がある。
内心では「正直いって、どうでもいい」とか思いながら、何となく「こうこうこういう状況があるから、こうするべきだと少なくとも俺は思いますけど」とか何とかそれらしく言うと、それっぽく聞こえてその場が済んでいくのである。
べつにそれでいいじゃん、と思ってたんだけど、最近はちょっと考え方変えてみようかなー、みたいな。
その変化の理由としては、まだよう分からんが…


○ちゃんと意見をもって熱く取り組むほうが仕事が楽しいかも。
これは俺的には画期的な考え方だ。
仕事が「楽しい」ってアンタ。アホか、みたいな。かつては。
絶対評価としては、仕事なんて「楽しくない」に決まっている。
相対的に「楽しい仕事」と「楽しくない仕事」があるだけ。
けど前々から思ってたけど、1日の多くの時間を費やす仕事を絶対評価として「楽しく」できれば、割りに人生楽しめるわけで。
けど、あくまで「かも」だ。「カモ」。
分からん。しかし楽しそうにやってる人も結構いる。
まぁ、だまされてるかもしんないけど。


○流れを自分で作るほうが効率的な気がする。
空から降って来る仕事をテキパキさばくことしかやってこなかったけど、もっと能動的に動くほうが、なんというか、結果的には時短かもしれない。
一見仕事を増やしているような気もするけど。
物事には「流れ」ってのが必ずあって(テニスにもあった。あんな感じ)、いい流れを引き寄せるにはやはり自分からの積極的な働きかけが必要不可欠だろ。多分。
ただなー、自分から動くのって正直面倒なんだよなー。
あーメンドクセ。


○昇任…するっぽい…
なんか凹むんだけど、来年度、高確率で1段階偉くなってしまう…。
ここでやる気ないと、それこそ上の流れの話じゃないけど、立場から来る周囲への影響力によって伝染し、結局最後には自分に跳ね返ってくる。
部下ありきの立場なので、部下のみなさんに気持ちよく仕事してもらえないと、自分がしんどいだけだろうよ…。


○飽きた
「フリ」に飽きた。
飽きっぽい性格なので、別にフリばっかしてきたわけじゃないけど、あんまり「自分」というものがないこの今の状況に飽きた。
もしかしたらこの状況がそろそろ限界かも、と心のどこかで思ってるかもだけど。
知らんけど。




しかし最大級の問題が一つ。
結局「仕事に興味がない」ということに変わりがないということ。
俺は従来から、好きこそ物の上手なれという言葉のとおり、好きなことならばいくらでも努力を惜しまないし、自分でも舌を巻くほどの集中力を発揮できるんだけど、仕事はマジで無理。
興味のないことに対して、自分の意見を持つなんて不可能に決まっている。
結局俺がよくいうフレーズ「どうでもいい」に立ち返ってしまうわけで。



結局あれだな、浅薄なところがやっぱアカンのだろうな。
もっと集中して取り組みを分析して、いろんな人と意見交換してみること、だよな、と思う。
すげー面倒だけど。



とここまで書いて、そろそろ書くことに飽きてきたのでここまでにしとこう。
何となく自分の浅はかさと自分の現在の立ち位置と角度が見えてきた気もするし。
以上。

生活発表会と蟹ブッフェとイルミネーション

午前半休をいただいてぼんの生活発表会を見てきた。
歌や劇を見るわけだが、意外に淡々と、ちゃんと台詞回しも上手にやってのけるぼん。
他の園児たちはうまくやれていない中、思いのほか器用にこなしていた。すげー。


というわけで夕食はちょっと豪勢に某観光ホテル(某じゃない)のブッフェへ。
今は蟹ブッフェをやっていて、しかもフォアグラのステーキもあったりして、すんばらしい料理を堪能。


帰りはちょっと遠回りして、車で住宅街を徘徊。
イルミに気合入れている家がたくさんあって、それを堪能してきた。
毎年のことながら、頭が下がります…。

四日市スポーツランドに行ってきた。

ちょっと湯ノ山寄りの方にある。
ぼんの運動能力の向上を目論んで行ってきた。
有料でしかも若干古いけど、意外にハードで本格的なアスレチックがあったり、山の急勾配があったりと、かなり楽しめました。
「まー所詮子供が楽しむエンタメ施設でしょ」というノリでいったら大間違い。
真面目にやると大人も結構疲れる。
俺も帰ってきたら、いつの間にやら右の肩を痛めていた…。
あ、歳ですか。そうですか。そうですね。

トータル・リコール

ポール・バーホーベン監督の代表作の一つ。
主演シュワルツェネッガー
こないだ映画でやったリメイク版じゃなくて、オリジナルの方。
なんだか日曜の真昼間から地上波放送されていたので、録画してみた。


トータル・リコール [DVD]

トータル・リコール [DVD]


リメイク版が話題になってたけど、見る気にもならん。
(まー見てみたらそれはそれで面白いかもだけど、ポール・バーホーベンのあの風刺の効いた描写は期待できん)
逆にオリジナルを久しぶりに見てみたいなぁと思って近所のレンタル屋をはしごしたけど、なぜかどちらも置いていなかった。
もっと気合い入れて商品揃えてくれ。>レンタル屋
というわけで地上波放送は大変嬉しい。


もしかしたら見たのは小学生以来かも。
ちゃんと見て、ようやく初めてちゃんとストーリーを理解できたような。(遅っ)
90年代の映画なので今のSFの描写力と比べるとどうしても見劣りしてしまうけど、それを十分に補ってしまうほどの世界観の描写。
昔の記憶から痛烈に脳内に残されていたキーワードは



いずれも記憶に残ったイメージを裏切らない素晴らしい映像でしたww

大掃除してたらなんかすげーの出てきた。

三連休は旅行に行く予定もないので(というか、行こうと思ってたんだけど宿のあまりの埋まり具合から、行楽地の激コミが予想されてゲンナリしてやめた)、大掃除にあてている。
この3日間で終わらす。
ただしレンジフードとリビングのワックスがけは外注の予定。


パソコンルームの収納(俺の衣類やらなにやらがごちゃごちゃ入ってる)に、「本」とマジックで雑に書いてあるダンボールがある。
これは昔アパートから引っ越したときにもってきたもので、ずっとそのままにしてあったもの。
何年もあけていないわけで。


ものっそい久しぶりに開けたら、昔の卒業アルバムだの文集だの写真だのが雑多に詰め込まれていてあー懐かしいな、とか思った矢先に。
なにやら1辺10cm強の真っ黒な箱が。
なんだこりゃ、と思って手に取ると、「PRADA」とある。
あけると…新品のPRADAの財布が出てきた。
…まったく覚えがない。こんなもん買ったっけ…?


実は昔ホノルルでかったバーバリーの財布がもうボロボロで、そろそろ新調しなきゃなと思ってたところだったので、なんと正に昨日新しいのを買ってきたばかりだった。
なんとタイミングの悪い!
昨日見つかれっつぅの!
まあ今の財布が古くなったら使わせてもらうけど…。