中野区がホームページで旧中野刑務所(豊多摩監獄、設計=後藤慶二、1915年竣工、1983年解体)の唯一の遺構である正門について、一般に意見を募集している(〜10月26日)。敷地に新しく小学校の校舎を建てる計画があり、そこで門を残すかどうかが問題にされている。

資料1で保存を主張する学識者3名の見解を示し、資料2で保存の際の各種の経費負担を示しているのは、自治体としてとりあえず中立的でフェアな態度と言える。しかしこれを見る一般の人の多くは、どうしても資料2の金額のほうに目を引かれると思う。建築の価値は文字では実感しづらいし、建築は特定の場所に立つから、そこから離れたところにいる大多数の人には、より広い範囲で価値をもつお金のほうが大事に見えてくる。フェアネスやコレクトネスという普遍的観念に基づいた公募が、世界を均質で平板にならしていくほうに作用する。
一方、資料3の新校舎配置案4案(→PDF)は、より明確に事業者の意志を感じさせる。解体案2案を保存案2案より先に示していることもその現れだろうが、2つの保存案ではその特徴として相対的なデメリットしか書かれていない(あるいは単なる与条件をあえてデメリットとして書いている)。歴史的・意匠的に疑いなく価値の高い建築が小学校に隣接して存在することは新校舎にとって大きなメリットにもなるはずなのに、そのことには触れず、例えば古い煉瓦の建築が残る東大や立教のキャンパスと戦後の新興大学のキャンパスのどちらに魅力を感じるかといった価値基準へのイメージは遮断されている。
保存案でデメリットとして列挙されていることも、実際に各項目がどれだけ不利なのかは自明ではない。例えば同様の条件下の小学校は都内にどれくらいあり、それらの校舎では現実にどういう問題がどれだけ発生しているのか(3階建てに比べて4階建てはどれだけ不利なのかとか*1)。そういった前提を示さないままこのような書き方をすることは、保存に対する市民の不信感を煽ることになる気がする。建築の保存と小学校の教育・運営とが、あたかも対立する要素であるかのように感じさせてしまう。
僕個人の印象としては、都心の歴史的建造物における全体保存か超高層に建て替えかというときの二者択一の途方もない差に比べれば、ここでの保存案と解体案の差はほとんどないというか、建築の保存も新校舎のデザイン次第で無理なく実現できる条件だと思う。むしろなぜこの条件で門の取り壊しを選択肢に含めているのか、不思議なくらいに感じられる。
豊多摩監獄の建築については下記リンク先、今日付で提出された保存要望書に詳しい説明がある。

また下の動画は1983年3月、正門を残して建物が解体される直前の詳細な記録映像。昨日、だれか有志の人がYouTubeにアップしたらしい。後藤慶二のプロフィールも含めて、若き日の藤森照信さんが解説をされている。約30分。

下の文は、僕が学生時代に読んで印象に残った後藤慶二の一節。後藤慶二(1883-1919)が語られるとき、必ずと言ってよいほど「天才」と形容される。きっと実際そうなのだろう。しかし天才という言葉はどこかその存在を自分から遠ざけてしまう。自分より100年ほど昔の人だからなおさらだ。その後藤がこの文でふいに身近に感じられた。

社交的現代的方々を見ると羨しい、調子はよし人附合はよし女には持てる、氣がきいて利口さうで實に結構である、だから羨しい、然しなんだか輕薄のやうだ、一方では羨んで置きながら一方では輕蔑の念を止めることはできない。

  • 後藤慶二氏遺稿』後藤芳香(私家版)、1925年

*1:リンク先PDFは文京区立第六中学校の新校舎(設計=香山壽夫、2015年竣工)の概要。中学校だし単純な比較はできないものの、おそらく敷地条件はこちらのほうが厳しく、生徒数340名で最高7階建て。しかしたいへん立派な校舎(地域活動センター・生涯学習施設を含む)ができている。 http://www.yanagicho-pta.com/archives/2014/01/21/docs/6thJuniorHighSchool201311.pdf