わたしの本の読み方。

私の本の読み方は、超偏食系です。

「好きなものを、好きなとき、好きなだけ」。

ある時アナウンサーをしている友人から、彼女の人生を変えた本を教えてもらいました。それは、『生きて行く私:宇野千代*1』でした。実際読んでみると、かなりカッコいい。以下、いくつか気に入ったフレーズを抜粋。

生きて行く私 (角川文庫)

生きて行く私 (角川文庫)

            ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●小説を書くことと、着物のデザインをすることと、どちらも仕事の分野が全く違っているもののようにみえるのではあるが、実は外観がそう見えるのであって、どちらの仕事の内容も、それまでには全くなかったものを、新しく発見し、切り開いていくということでは、少しの違いもない。同じ仕事なので、私はその二つの間に、少しの矛盾したものも感じないで、この二つを同時に遂行して、ちっとも困らないでいる。そして、そのことのできる自分の才能を仕合せなものだと思っている。

●私はこの年齢になるまで、家を十三軒も建てた。今度はこんな家が建てたいと思うと、思った瞬間に建て始める。家を建てることだけではなく、すべてのことに狐疑逡巡することがないので、あえて言えば、生きがいいのである。

●若さを保つ秘訣。誤解されることを恐れずに言えば、それは男に対する好みである。
特定の男に対して、私はあの人が好きと思うことである。ある男に関心を持つとき、何がその関心の原因になるか、考えてみるが好い。その男のおおらかな、闊達な性格に魅力を感じているのだとすれば、それは、素晴らしいことであろう。あの人はどういう家に育ったか、定めし、自由な、ものにこだわらない考えの両親の間で、育った人に違いない、などと思っただけで、自分まで大らかな、闊達な性格になったような気がすることは、願ってもないことではないか。男の影はいつでも、私の性格の上にだぶる。ひょっとしたら、それらの、男たちへの憧憬の凡てが、私の若さというものへもつながるかもしれないと思うことがある。
            ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


読んではまると、今度は彼女に関する本を次々に読んでみるのです。


たとえば、宇野千代さんが、中村天風さんの講演で感銘を受け、講演模様を記録したもの。

天風先生座談 (広済堂文庫)

天風先生座談 (広済堂文庫)

宇野千代さんの生き方に感銘を受けた中山庸子さんが宇野千代さんの生き方からの教訓を60ばかり紹介したもの。

そしてこんどは、中村天風さん、中山庸子さんの作品へも広げて読んでみます。

君に成功を贈る

君に成功を贈る



なりたい自分になる1週間のすごし方 (幻冬舎文庫)

なりたい自分になる1週間のすごし方 (幻冬舎文庫)


書き込み式  「いいこと日記」 2005年版

書き込み式 「いいこと日記」 2005年版


書き込み式わたしの「夢ノート」 (王様文庫)

書き込み式わたしの「夢ノート」 (王様文庫)


こんなことを繰り返して、何が面白いのか。そう思った人は、
自分が面白いと思う本の、同じ作者、紹介者、中で紹介されている本、参考図書などを、一気に二十冊くらい読んでみることをおすすめします。
効用のひとつは、それくらい読むと、友達の友達は、皆友達だということで、昔読んだ本の作者とのつながりを発見したり、作者どおしで作品紹介しあってたりという人間関係がわかってくること。時には相当本人に詳しくなっているので、パワーが強まってきて(なんのパワーかいまいち不明だけど)存命であれば本人に会えたりしてしまうのです。


実際、宇野千代さんの関連書を読んでいて、ゆきついた中村天風さんの本は、私の母が、母の姉から読むように勧められていて家にありましたし、別の友人の家でもお父様が大切にされていました。中山庸子さんの本「私の夢ノート」は、これまた別の友人から誕生日に贈られたものでした。


残念ながら宇野千代さん、中村天風さんはこの世を去ってしまったたけれど、中山庸子さんは青山あたりに住んでいらっしゃるようで、ここは私の日々の活動範囲。どこかでばったり会ってしまったりするはずと密かに楽しみにしているのです。


*1:宇野千代さんは、明治、大正、昭和、平成を、生き抜いた作家であり、きもののデザイナー。何かしようと思った瞬間、かけだしているような女性。尾崎士郎東郷青児、北原武夫と次々に恋に落ち、生涯に家を13軒建て、雑誌を立ち上げ、倒産も経験した。

ゆきだるま。

ゆきだるま

東京は雪降りました。


朝から寒かったけど、
犬は喜び庭駆け巡り♪気分でした。
少し遅めの10時ごろ会社について、
ほっと一息つきに立ち寄った女子トイレで、
「雪ですねえ。」「寒くなりそうですねえ」
と話してたら、
私の気持ちを一番理解してくれてそうなアルバイトさんが、
「これから、雪合戦しに行きますよ!」と
誘ってくれました。
「うわ。めちゃ行きたい!入れてください!」って
即返事しましたが
「うそですよ」と軽くからかわれただけでした。
まじ がっくり。


でも、でも、でも。



あきらめきれなかった。
雪の日には、雪遊びです。
これ常識。


それで、夜中の11時。深夜残業終えて。
家に帰る途中、私の胸はあるひとつの決心で熱く燃えてました。
そうだ。そうしよう。実行しよう。


一度家に帰り、スーツを着替え、あったかいアルパカのジャケット羽織り、
いざ近所のマンションの駐車場へ。


はは。まだ残ってたよ。車の窓ガラスとボンネットには、
わずか厚さ2-3cmくらいの雪が。


お団子つくり、ころころ車の上で転がし、
塊を四つ作って、急いで家へ。


引き出し漁って、なんかないかな?割り箸やら毛糸やら、
お薬やら、折り紙やら。



で、できた作品が、彼らです。
かわいいでしょ。
とりあえず、世は満足じゃ。

冬はゆきだるまをつくるに限る!


おやすみなさい。

55年前のパパとママ。

台湾に出張に行く手続きで、
白金台の台北中日経済文化代表処というとこにいった。


ここは台湾にゆかりある人にとっての役所、領事館にあたるところ。
婚姻届や子供の出生届なんかを提出したり、
パスポートやビザをとったりの手続きはここでするんだって。


両親は台湾に行くことがなかったし、婚姻届や、出生届のタイミングに
私は生まれてなかったわけで、実は白金台に来たのは今回が生まれて初めて。


役所の手続きはどこもたいてい煩雑で、雰囲気もこわばっている感じがして
苦手なんだけど。でも、そんな中、すごいものを見せてもらっちゃった。

見てみて。

その1


その2

上がママ。下がパパ。
パパとママの両親が、それぞれの出生届けで使った写真。


「これあなたのパパとママ?」
窓口に座ってる事務の担当の女性に確認されたけれど。


そんなのわかるわけないでしょ。


名前と誕生日の記録でとりあえずはそうなんだろうなってわかって、
「はい。そうです」と答えといた。


でも、見てたらこの写真が感じさせる時の経過や物語に惹かれて
しばらく写真に釘付けになってた。


「コピーしてあげようか。」
女性が私のものほしそうな顔を察してか、めがねの奥から
上目遣いでぽつりと言った。


「うん。ほしい。」
答えると、じゃあ、OKという顔をして
写真をキャビネットにはもどさず、机の脇に置いた。


しばらく私の事務手続きにもどり、大方の申請書類を処理しおわると、
やがて女性はさっきの写真を持って窓口の奥の部屋に行き、
コピーをとってきてくれた。



「かわいいでしょう。」
戻ってきた彼女ははさみでちょきちょきパスポート写真サイズ(4×5くらいかな)
に切って、パパの写真、ママの写真を左右にならべると、
丁寧にも別の紙を台紙にして糊ではって渡してくれた。


いいもんもらっちゃった♪


肝心の事務手続きのほうは、実は書類が足りないのがあって、
ちょっと難航したのだけれど、写真のやりとりでなんだか
向こうの女性が親近感を覚えてくれたらしく、上の人に頼んで
あとから足りない分を送ってくれれば、OKということになった。


緊張してても、状況を楽しめる時には楽しんじゃえ。
ということで。
ほんとだったら、超事務的な、面白みなんてまったくない
訪問だけど。結構思い出深い一日になった。


           ☆☆☆

うちに帰って、パパとママに写真を見せたら。
「ママお嬢様だったのよ。椅子に腰掛けて、ほら、お姫様見たいでしょ。」とママ。
「これ顔だけだけど、このときはたぶんくまちゃんを抱いてたんだ。」とパパ。
懐かしそうにお互い自慢しあいっこしてた。
今はじいさん、ばあさんだけどね。


50数年前のパパとママは確かにかわいかった。

復活しました。

コーヒー

 最近日記更新されてないね。
という声を方々から頂き、
ありがたいやら、申し訳ないやら。

本日よりやっと、復活なのですけれど。
その前に。
お話ししとこっと。
なんで、Rika's Journalの更新が
しばらくばかり、ストップされちゃってたか。


理由は簡単。お休みしたかったの。
何もかも。正直なお話です。

ご飯を食べることも、
人と会うことも、メールをすることも。
ぜーーんぶ「ほっぽりだしたい期間」だったの。
たくさんたくさん、やらたいことが、やらなきゃいけないことに
見えてきて、呼吸困難になってました。



で、自分の気持ちに無理していても、
一向に良くならないので、
先々週、やっと、実行成功。
「ほっぽりだしたい期間」にほっぽりだしちゃいました。


お仕事は月、火までで、あとは水、木、金と
ぜーーーーーーんぶ、おやすみ。
いえい。



もちろん、これにはラッキーが必要でした。
お休みしたい!という時には、
たいてい誰もが認める休まざるをえない状況が
ないと、復帰した後の周囲の目やら、気遣いやらが
気になるわけで。
できることなら、人知れず、「ほっぽり」を実行し、
人知れず復活したいもの。

でも、心配無用。
待っていれば、ラッキーはたいていむこうから
やってきてくれるものなので、
まってました。

で。きてくれたのは、インフルエンザ。


そうです。インフルエンザ。


39度。ずっと。1週間くらい。
Welcome!!インフルエンザです。



気持ちよく、ぐったりと、心置きなく、お休みしてきました。


深夜から、翌朝、昼まで一日中ラジオを聴き、
空想したり、夢見たり、のんびりのんびりすごしました。
ラジオでは、けん玉の実況中継てのを放送してたんだよね。
ゲストは小学校の先生でけん玉名人なんだけど、
毎日学校が終わるとスタジオにかけつけるみたい。
そしてたった3分ばかりだけれど、日替わりでアナウンサーに
実況されて、かえってくだけ。そんなほほえましさに、
自分の小学校時代を思い返してみたりして。


ほっ。よい充電でした。

疲れたら休まなきゃね。←大学で仲良しだった、ちーちゃんが言ってた言葉。
私も大好きな名言です。。

嘘と真実

sunahukin

嘘をつかれたことが真実だとしても、間違ったことを知らされても、
信じつづけることは可能だと思うの。

騙されていると知りながら、信じきることができたら、真実を越えてしまえる気さえするの。


狂ってるといわれるかしら。

でもそんなことを高校時代からずっと考えているの。

サンタクロースを信じる気持ちに少し似ているかもしれないわね。

君のいる場所

小さな駅。小さな公園。まあるい郵便ポスト。急な階段。台所とお皿。ジャスミンティー。くしゃみ。シャンプーの香り。やわらかいソファー。手提げ袋。難しそうな本。小さなテーブル。そして古いピアノ。

ビーズ刺繍

土曜日 日本橋三越へ母と田川啓二氏の
ビーズ刺繍の展覧会に行ってきました。


 
カンディンスキーパステルな絵に、
ビーズ刺繍を施すと
絵画がキラキラと輝いていくの。


同じように、歌舞伎や京劇の激しい色使いも
ビーズの輝きと刺繍の繊細さで
やわらかさが加わるの。





ビーズのバックや小物も綺麗だけれど
アートとしてのビーズ刺繍はもっと素敵でした。


「昔、色鉛筆で絵を描いて、仕上げに黄色を
全体に塗ってあげると光り輝く気がして
無意識に習慣にしてたけど、
絵画の上にビーズ刺繍をするのと同じ効果が
あったのだわ」


「家にあったビーズのクッションは、
ハンドバックに変身させるからね。」


てな感じで。

母と私が展示会に行くときには、
展示物そのものを見て楽しむというよりは。
展示物から発想される、自分たちが
将来作り出すであろうものたちの
姿を思い描いたり、自分たちのクリエイティビティに
先見の明があったことを確認する時間。



自分に満足し、作品に満足し、
いいものを見せていただきました。と
新たな創作意欲を充電してもらいにいくのですね。






田川啓二の世界―オートクチュールビーズ刺繍

田川啓二の世界―オートクチュールビーズ刺繍