ペニンシュラ型

~私とあなたの不可避な壁~

亡念のザムド各話を勝手に解説していくシリーズ 第25話

配信にて全話視聴済みのrivfiがネタバレにならない程度に、テレビ放映された回の分かりにくいところ、今後に備えてちょっと大事なところなどを書いていくコーナーです。あくまで私の勝手な解釈なので間違ってたらごめんなさい。


もう満足。


この回まで見ることが出来た視聴者が増えたことがなによりも嬉しい気がする。←何視点だ
最終話は考えろ、と視聴者に投げかけすぎで答えを僕たちの方に求めてる部分がある*1と思うので、とにかく、この『ナキアミとサンノオバ』までは見てほしいと僕はすすめてきたわけです。
さて、やるか。



〜色々と解説〜

登場人物たちの心理に関しては、みんなが考えるものなので、今回は実際に物語の中で起きそうになってること、起きたことだけを書いていきます。*2
一応、初見当時に書いたエントリを元にしているつもり。ただ長い。


  1.結局大巡礼とは何をすることなのか。
分かりにくくなっているのが、今まで行われてきた大巡礼と今回サンノオバが行おうとしている大巡礼ではやろうとしていることが少し異なるということ。

今までの大巡

ここまでに劇中で説明がされてきたもので、白髪カッキー(シロザ)とかが言ってたのはこれ。
世界中で生まれる負のエネルギーが集まって1000年に一度、ヒルケン皇帝*3が目覚め、世界を闇に落とそうとするため、それを防ぐために歴代のサンノオバが殉教者(ヨホロギ)の魂を使ってヒルケンを相殺してきたこと。これに際して魂を導く助けを行うのがザムドの役目。大巡礼を千年に一度行うことで世界は均衡を保ってきた。


ところが、今回の大巡礼に際して思わぬ自体が起こってしまった。このあたりからはサンノオバの台詞の解釈になります。
負のエネルギーを蓄える素体になる現ヒルケン皇帝の元となる存在(人間?)を現サンノオバが取り上げた時、彼は既に死んでいた。(死産)*4このことが原因でサンノオバは胎動窟をおわれることになったと思われます。おそらく、それに際してルイコン教の熱心な信徒であるテシク民への迫害がはじまったのだと思われ。
しかし、北の役人は大巡礼というシステムを存続させるために、彼に無理やりヒルコを植えつけ生かすことにした。
無理やり生かされることになり、また個人としての名前も持たない、現ヒルケンはこの唯名論的世界観では自己の存在に関して深い嘆きを抱くことになった。おかげで今までの歴代ヒルケンよりも闇が深い=力が強いらしい。
サンノオバはこれに際して、世界中でザムドを生み出すことでヒルケンの嘆きを抑えようとします。*5 *6
けれど、サンノオバは気付いてしまった。今のヒルケンの嘆き、哀しみは強すぎてそんなものではどうしようにもならないことに。また、今後ヒルケンの様な存在を生み出さないためにも大巡礼というシステムを無くしてしまおうと考えた。

サンノオバのやろうとしていた大巡

今まで戦地で集めてきた大量のヒルコ(太母のヒルコ)とサンノオバ自らのヒルコをぶつけてヒルケンを相殺する。こうすると、今までとは異なり、ぶつかった衝撃でヒルコは四散してしまう。*7そうすると、アキユキや雷魚が石になりかけたと同様に四散したヒルコを身に受けたものは石になってしまうが、それは(今後、世界に負のエネルギーを生み出すような)穢れた魂の持ち主だから気にしない。彼らの魂はサンノオバが清めて一緒にルイコンの流れに連れていくので大丈夫


すげぇな!!魂による選民思想!!


これはTV版シロッコよりすごい。死んでしまっても魂をルイコンの流れに還せば問題ないという思想なので、どうりでザムド発生させるのにテロしても構わないわけですよ。*8


だけどナキアミが「たとえそれが穢れた魂たちであろうと、私は皆とこの大地で生きていたい。」と言った。*9
だから、みんながともに生きられるようにナキアミが行うサンノオバのものとも違う新たな大巡礼をサンノオバは受け入れることにした。


  2.禊ぎの儀式って何?
不明。以前は、サンノオバを継ぐための儀式かと思ってたけど、サンノオバの血を断ちますとも言ってるので、これではない気がする。ラストのナキアミの台詞やサンノオバやジバシリ達の仙人っぷりから普通とはことなる時間軸で生きれるようになるための儀式なのかな、と最近は考えています。


項目自体は少ないですが、特に大巡礼についてだけ抑えておけば、これからもしザムドを見返す場合にもそういう視点を持って見ていただければさらに面白いのではないかと思います。噛めば噛むほど味が出るアニメ。


〜チェックポイント〜

  1.異化効果
この間の「アニメギガ」にこの作品の音楽担当の大島ミチルさん(他にも「天地人」とかやってらっしゃる)が出演してらっしゃいましたが、その際話題にされていたのが、音楽と映像の異化効果でした。
普通、その場面では流さないようなBGMをあえて流すことで視聴者に特別な印象を与える。今回はそれの至高です。
Bパートにてサンノオバがヒルケンについて説明をする場面。画面は動きまくるアクション。穏やか過ぎる音楽。淡々とした、あえて言うなれば説明口調の台詞。三者三様別のところ向きすぎです。
何気なく見ていますが、これを何気なく見れるというのが何よりもすごいことです。見返すことが出来る人はもう一度この場面を見返してください。演出としてすごいから。


  2.ヤンゴの役目
大巡礼においてはザムドは導き手の役割を持つということに関しての説明を何度かここのエントリでもしてきました。
ではもう一人のザムドであるヤンゴは何をなすか。ナキアミの台詞にそのまま、「お前の役割だろう?」と指し示される場面がありましたね。
そう本来の大巡礼なら死した魂を導くべきザムドですが、ヤンゴは生きるために胎動窟という膳から人々を導くといういわば正反対の役割を担うことになりました。しかし、ヤンゴは本当にいい男だ。


  3.カメラワーク、コンテ
今回は特にコンテや視聴者の目の動かし方に特徴があります。自然にハルから胎動窟、そこからその内部にいるヤンゴ達へ、というのが分かりやすいですが、個人的には、それこそ空っぽな胸を持つヒルケン皇帝からアキユキがちょうど見えるというカットですね。
心がないキャラクターの胸に穴が空いているという意匠はよく見かけるものですが、このカメラワークはそのままその心の隙間を埋めて見せろ、というヒルケンの台詞、ひいてはアキユキという名を差し出すことへの伏線になっています。


  4.メインソウルという名称の伏線
どうも私にはメンインソウルと言っているようにしか聞こえないのですが、ASPスーツが汗馬を捕まえ、ともに石化する場面。古谷さんの「敵について」の朗読と相まってすばらしいシーンになっているのですが、あそこについての理屈的説明は全くなされません。
それこそ視聴者に考えろ、と促しているわけですが、宗教や軍にすがり更には車椅子という偽りを常に被っていた汗馬、言葉通り「魂」がない者の魂ですら求め、滅びに向かおうとするASPの描写は同じく自らの魂、名前を求めるヒルケンの姿に重なります。
この演出がスッと入ってくるのは、メインソウルという、ASPに必要なパイロットがそれすなわちASPの魂であるという認識がこっそりと初期の初期から仕込まれていたからこそです。
こういうネタの隠し方が抜群に巧い。



こんな感じでしょうか、他にも禊ぎの儀式で死したジバシリ達の姿が現れるのはどういう意味であるのか、とか憎しみは痛みにもならない、出口にもならない、とか色々あるのですが、余計なことを書いても興を削ぐだけでしょう。
さぁ最終回を待つ。最終回は本当に考えないといけない。


24話分はこちら↓

 

*1:別に最終回が気に食わないってわけではないです。念のため

*2:というか、最近そういう感情面の私のただの妄想っぽいものに比重が偏りすぎだ。

*3:このヒルケンというのが名前ではなく代々受け継がれてきた役職みたいなものだということに注意。公式サイトの用語集にも載ってる。

*4:これがいつのことかは不明。サンノオバやジバシリの仙人っぷりを見るに本当に1000年前かもしれぬ。

*5:このあたり(サンノオバの台詞では万色にザムドを咲かせ〜)はつまり普段の大巡礼とは違う対応をしたということのはずなんだけど実際どう違うのかがわからない。これは今回はザムドをたくさん生みだしたということなのか、それとも今回だけ現ヒルケン用に普段とは異なるザムドを生み出すことにしたのか、が不明。

*6:個人的には後者だと思う。“万色に”っていうのを普段は一色だけど、今回は色々な性格のザムドを作ったという解釈にすればシロザの「きみはザムドなのに我を忘れてないんだね」(普通のザムドは我を忘れている、画一化されている)とも筋が通るし。

*7:何故、普段はそういうことにならないかというと、サンノオバがコントロールに専念してるから、とか使う魂が死にたがってるヨホロギのものだから方向性を定めやすいとか色々考えられる

*8:とはいえ、ナズナは人がいなくなってから爆発させてるし(重症者や死者とかはヒトガタの被害によるものっぽい)、雷魚の時も他の人達がどうなっているかは分からない(おそらく浅い水の上なのでショック吸収になる所を選んだ?)ので、ただ白髪の子の自爆が必要なだけでなるべく周りの人に被害がないようにしてるのかもしれません。にしてもザムドになる人間の意思は無視ですが。

*9:穢れていること自体は認めているのがこの作品らしい