白井京月の読書ノート

2009年から2014年の読書メモ

ぼくは勉強ができない

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

昨日は山田詠美の「ぼくは勉強ができない」を読んだ。勉強はできないが、もてるという才能のある高校生が主人公だ。最初は面白かったが、途中で飽きた。
山田詠美は世の中の常識的な価値観が嫌いだ。学校的な価値観はもっと嫌いだ。協調性、同質性、おとなしいこと。それらが大嫌いだ。
そして、それとは無関係に、官能と美しい肉体がお好きなようだ。そこに人間の原点、最高の価値を置いているようにも見える。
この本は官能小説ではない。しかし、主人公の高校生には彼女がいて、充実したセックス・ライフを送っている。なんでも、1時間もつというのが自慢のようだが、山田詠美は、そういうセックスがお好みなのだろうか、などという感想はゲスと言われるのだろう。
もてる男と、もてる女。どうやら、そこに介在するものは本質的に「肉体」に属するというのが、一つの主張とも読み取れる。もちろん、肉体において「顔」は最重要な要素の一つだ。顔は正直だから。
高尚な哲学も思索も、食欲には勝てない、痛みには勝てない、という珍妙な比較が面白い。
道徳や倫理を否定するのではないが、世の中というものが、そういうものを超えて存在しているということを知らなければいけない。世界には清濁が常にある。そして、人は肉体と共に生きている。それにしても、IQやEQが言われて、「肉体指数」が言われないのは何故だろうか。それが、あまりにも決定的だからだろうか。
人は誰も、潜在的には肉体を崇拝しているのだろう。山田詠美の場合、それが強く自覚的だというだけの話だ。私たちは、この社会から逃げられないのと同様に、自分の肉体から逃げられない。