飛んだったきりトビウオ

ピンク色の髪の姉ちゃんが僕の駅(と言っても僕のものではない。みんなが使う駅だから一人ひとりが最低限のマナーを持ってキレイに使わなくてはいけないのである)で降りるのを見ました。こんな人今までこの駅で見たことがあっただろうか。ぴらぴらの、今流行ってるメイドさんが着ているようなスカートをはいて黒縁の眼鏡をかけていらっしゃった(今とても臭いおならをこいてしまって誰かに言いたいのだけれど周りに誰もいないのでここにこうして書いてみよう)。ヒタヒタと近寄ってよく見てみると、ピンクと金色がところどころ混ざっている。馬鹿でかいトートバックを肩にしょって、スネが隠れるほどのブーツをはいてらっしゃる。そしてその姉ちゃんはカツカツと闇の中に消えていったのでした。

それから一週間後。僕が学校の近くの駅で電車が連結されるのを見物しておりますと(しかしながら電車が連結されるのを見るのはなんで楽しいのだろう。ホームで待つ二両編成の電車にガタゴトとやって来た二両の電車が近づく。「もう!遅いじゃないの!」「ごめんごめん」「ふんだ」「むくれちゃって。かわいいなー」そんな微笑ましい会話さえ聞こえてくるようだ。駅員さんが三人ほど集まってくる。どこからともなくがやがやと観衆が集まる。一人の駅員さんが、止まっている電車の後ろのドアを開けてタイミングを見計らう。ピー。笛が駅全体に響き渡った。一方の電車が進んで一方の電車とつながろうとする。「うんっ、きて・・・」ガタッ!おしい!少し勢いが足りなかった。「もう!じらさないでったら!」「よしよし。力を抜いて・・・そう・・・じゃあいくよ」少し間を置いて再び電車が動いた。
・・・ガチャン「あああっっ!」「ふおおっっ」ぷしゅうーと吐息のような音を響かせた電車は、もういつもの顔に戻っていた。そして今まで心を一つにしていた観客達もお互い顔を見合すことすらなく、黙ってそれぞれの路に戻っていくのだった。)なんとあのピンク色の髪の乙女がかつかつと僕の前を通り過ぎるではありませんか。いまから帰るのかしら。同じ駅で乗って同じ駅で降りてたんですね僕達!もう心はつながっているも同然。だって同じ駅で乗って同じ駅で降りてるんだもの。そんなわけで恋人気分で彼女か腰掛けた前につり革持って立ってました。え?男が座ったらみっともないでしょう?ガタンゴトンガタンゴトン。ふーんよく見ると頭のてっぺんは黒くなってる。つまり髪を染めてからどれだけ髪が伸びたかがわかるわけですな。四、五センチくらいはあるから一ヶ月だいたい二センチくらいとして(駅前の理髪店のおっさん談)二、三ヶ月前に染めたってことになりますな。染め直したのか?それとも・・・「駅前のいつもの喫茶店で」しばらく会っていなかったアツシから連絡があった。なにやら話があるようだ。鏡の前で自慢の黒髪をくしでとかしてピン子は玄関を出た。空は八月に似つかわしくカッと晴れてムシムシしていた。アツシは窓際の席に陣取っていた。ピン子を見つけると軽く手を上げて応じた。「しばらくだったわね」「ああ・・・忙しくて、な」「・・・そう」会話が途絶えた。話したいことはたくさんあったはずなのだけれど、何か、そうさせない何かが今日のアツシにはあった。「・・・・・・もう別れようぜ」数分の沈黙の後、アツシはぽつりとそう言った。しかし目はあさっての方向を向いていた。「・・・どうして」「オレ東京に行くんだ」「そんな・・・あんたこっちで就職するって・・・そう言ってたじゃない・・・それに東京に行くから別れようだなんて筋が通ってないわよ」「こんな田舎じゃオレなんて雇ってくれねえんだよ!」アツシは声を荒げて言った。周りの客は目でこそ見なかったが、体全体でピン子とアツシの方に興味の目を向けたような空気が感じられた。それから自嘲気味ににやけてアツシは言った。「だから・・・さ。上京しようと思って。まあどうせこんな田舎町で田んぼに囲まれて一生送るなんて考えてなかったからちょうどいいんだけどな」「なによ・・・なによそれ!あんたは私をずっと捨てるつもりで付き合ってたの」「なんだよ。結婚でもする気だったのかよ」「そんな問題じゃないわよ!・・・・・・バカっ!好きにしなさいよ!」ピン子は喫茶店を飛び出した。
ガラス越しに窓を見やると中の客の一人と目が合った。アツシは背中を向けて携帯をいじっていた。もう他に女がいるのかもしれない。別れられたと報告を入れているのかもしれない。ピン子は足早にそこを立ち去った。そして商店街のショールームに写る自分の姿を見た。ふふ、ひどい顔してるな私・・・この髪もアツシがほめてくれてたから・・・黒いままで・・・・・・。その帰り、彼女は行き着けの美容院に寄った。お馴染みのおばちゃんがでてきた。「ピンクに染めてください」「えっ?ピンク?どうしたのピン子ちゃん、こんなにキレイな髪してるのに」「なんでもないんですけど・・・染めたくなっちゃって」「・・・そう。わかったわ。バカみたいなどきつい色にしてあげる」「ふふふ・・・・・・ううっ・・・」おばちゃんはそれ以降は何もいわず、黙ってピン子の髪をピンク色に染めていったのだった。美容院を出るとセミがやかましく鳴いていた。前の道路をトラックが横切る。私が振られたからといってこの世界は何も変わらない。でも私は一つ変わった。それでいい。ただそれだけのことだ。特に深い意味など今の私には必要ないのだ。ピン子は息を大きく吸い込んで大きく吐き出した。セミはまだやかましくみーんみーんと鳴いていた・・・・・・ピ、ピン子、おれはお前に何を、何をしてやれるんだ。おれは何もできない。そんな力はおれには無い。でも、でももし何かして欲しいことがあったら言ってくれ。どんな小さなことでも、つまらないことでも構わない。おれは全力でそれをやってみせる。お前がそれで少しでも笑顔を取り戻すことができるというのなら・・・

駅に着いた。辺りはもう真っ暗。送っていこうか?ん?なんだこんなところにベンツ?え?あ、乗っていかれるんですか。送って行かなくてもいいんですか。運転席には金髪の怖そうな兄ちゃん。助手席にすべりこむピン子。!?あっ!ピン子が笑った!・・・あの一時は自殺まで考えていたピン子が笑った・・・おれが何をしても笑ってくれなかったあのピン子が・・・畜生!お前は何なんだこの野郎。そこで待ってろ!ただじゃおかねえ!

でもピン子は笑うとブサイクだったので僕はただじゃおかずに105円払ってコンビニでコーヒー牛乳を買って帰ったのでした。