外山恒一の選挙戦略は共産党が80年前に通り過ぎた道だった!

- 作者: 立花隆
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1983/05
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さて、外山恒一の選挙出馬は、当選が目的ではない。その目的は、革命(政府転覆)の闘士ここにあり!と世に知らしめることである*1。
これと全く同じことを非合法時代の日本共産党は既に80年前にやっていた!
1925年に治安維持法と抱き合わせの形で普通選挙法が成立した。このため、25歳以上の一般成年男子が選挙権を持つようになった*2。そして1928年に、普通選挙が行われるようになった。
この普通選挙に共産党は打って出た。治安維持法*3違反の非合法秘密結社であった共産党は、それまでは地下活動を行っていた。しかし、コミンテルンの指示により、大衆の前に姿を表し、党勢拡大を目指したのである。
もちろん、公然と共産党を表に出して候補を立てるわけにはいかない。そこで、共産党のシンパが多数いる労働者政党*4の最左派「労働農民党」の候補として、11人の共産党員が立候補し、それらの候補を裏から共産党が支持するという形を取った。
当選者を出すのではなく、選挙を通じて共産党の存在を知らしめ、宣伝をすることが目的とされていた。
共産党がこの選挙で配ったビラにはこう書かれていた。
労働者農民諸君!
何故共産党は今回の総選挙戦に出動するのか!
いはずともしれたことだ。議会を破壊するために
出動するのだ。
そして議会を破壊するのに決定的に重要なのは
労働者農民の暴力的行動だ
しかも
ビラまきに出るときは『武装せよ!』という指示があった
万一のときは”敵”を刺しても逃げのびろ、というわけ
立花隆「日本共産党の研究(一)」p181
武装して決死の覚悟で選挙運動を繰り広げていた。
まとめ
外山恒一の選挙戦略と全く同じことを戦前非合法共産党が80年前に行っていた。しかも、外山よりもずっと強い覚悟で武装までして必死に運動をしていた。
とはいえ、その結果は、同年3月15日の大量検挙(三・一五事件)であり、3400名が逮捕され、共産党組織が壊滅するという失敗に終わっている。
現在とかなり状況は違うとはいえ、外山恒一の選挙戦略は成功するのか、失敗に終わるのか。
外山恒一の「今後」に注目である。