書くか書くまいか逡巡したが

今回は先日の正月二日、わが実家に行ったとき目にしたこんなオモチャについて駄文をしたためる。

マイパーソナルATM 2 シルバー

マイパーソナルATM 2 シルバー

妹夫婦のムスメふたり (= つまりこっちは実際の姪っ子) が、クリスマスプレゼントとして "サンタさんにもらった" というこのシロモノは、せっかくの正月気分を損なうに充分なパワーを持っていた。


われわれが実家に着くなり、先に来ていた妹一家のムスメふたりが、それぞれこの同じオモチャで遊んでおり、私の口から思わず出た第一声は「なんだそれ?!」だった。 しかもなぜに同じモノを二つも買ったのか訊いたところ「ひとつだと、それを巡ってケンカになる」からだとのコト。



上の子はすでに小学二年生、下の子は四歳なので、同じオモチャを巡ってケンカするにはやや歳が離れてないか?と思うし、それをコントロールできない親はそもそも育児放棄にすでに片足突っ込んでないか?という気がする。



とはいえ、この点は現実問題としてはそう単純ではないという意見もあるだろうし、そもそもヒトんちのことなので、私がとやかく云うスジアイのモノでもないだろう。 正月気分をぶちこわしにしてくれるのは、このあとのムスメふたりの所業である。


だれが与えたのかは訊かなかったが、ふたりはそれぞれ、硬貨や紙幣をそれなりに持っていて、そのオモチャに出したり入れたりしていた。 このオモチャは、いちおうキャッシュカードを模したプラ製のカードを入れて暗証番号を打たないと取り出せない仕組みにはなってはいたものの、自分で入れて自分で出すのだから、あまり意味がないあたりが笑止千万と云わざるを得ない。


しかもわれわれが呑んだり喰ったりしている間、それをずーっとやっており、そのたびにジャラジャラ、ガサガサというおカネの音と、オモチャから発せられる安っぽい電子音とが始終鳴っているという様相である。



だいたい、おカネは天下の回りモノ、決して衛生的でないコトはムカシからけっこう云われてきたモノで、あれだけガッツリ触りまくっていれば、かなりの雑菌が手に付いているコトだろう。 そのあと手も洗わせずにそのまま飲み食いさせるのだから、妹夫婦には呆れる。

余談ながら、上の子は年末にマイコプラズマ肺炎を煩ったそうで、日常がコレではそれもさもありなんといったところだろう。 ホント、オマエらは子どもが大事じゃないのか?とさえ思わざるを得ない。


そんなコトで、私にとってはすっかり興ざめした空気に追い打ちをかけるように、今度は爺さん婆さん ( = つまり私の両親) がふたりにお年玉を与え始めた。私の親戚スジではムカシから、単に親族間でカネが行き来するだけだろうという観点から、オジ・オバからはお年玉をあげないコトになっているので、私も当然その子たちにお年玉なんかくれてやらないのだが、祖父母からの場合だけは別というコトになっていた。 私も何年か前に祖母を訪ねたとき「美味しいモノでも食べなさい」などと36歳にもなって10,000円のコヅカイをいただいたコトがあるし、祖父母からみればいつまでも孫はマゴなのだろうから、それ自体はまあよかろう。



お年玉の額は上の子に3K、下の子に1Kだったようで、いまの相場なんかには興味はないモノの、私の感覚としてもそんなもんでしょ?という感じだった。 そもそも未就学児にカネなんか与える必要ないでしょ?というのがホンネでもあるし、オトナ視点で云うならば「もらえるだけありがたく思うべき」だろう。


そう思っていた刹那、最近少しはモノがわかってきたらしい四歳児のほうが「あ、これだけか」という極めつけのいっちょまえのセリフを吐きやがったのには、著しく気分を下げられた。
もちろん、そんな幼児のコトバに悪意などはなく、単純な印象で云っているコトくらいはわかっている。 とはいえ、先ほどからのオモチャの件でそもそもテンション下げ下げのさなかだったのが、私にはかなりの効き目があったようだ。


だいたい、敗戦直後の物資不足の時代でもあるまいし、これだけありあまるほど選択肢があるというのに、なぜにわざわざあのオモチャを買い与えるのか、私にはまったく理解できない。 もっと子どもに相応しい製品がいくらでもあるだろうに....と、あれから一週間たったいまでも、どうにも憤りがおさまらない。



ということで、せっかく正月気分で実家に行ったのに、私ゃすっかり不機嫌になって帰ってきましたとさ、という正月二日の出来事を、今後の自分へのなにかのイマシメのため、つづっておこうと考えた次第である。







おしまい