久々の歴史コーナー?!北条家の人々

こんばんわ、貴方のリョウセイです。


今回は久しぶりに歴史のお話です。
テーマは戦国北条氏です。

ついに歴史コーナーにもお人形が(w
折角なので出番が減ったあなるちゃんにお手伝いしてもらいました。
でも今回はおしゃべりしませんからね。

そんな訳で久々に戦国北条氏に燃えてます。
切っ掛けは伊東潤さんの戦国鎌倉忌憚剋を読んだからですよ。
主人公は玉縄北条氏五代目当主の北条左衛門大夫氏舜です。
あんまり知らない人物なので愛用している学研歴史群像シリーズ14 真説戦国北条五代を見ると
当主であったのは父氏繁が死去した天正六年から僅か5年の間だけらしい。
当主を弟の氏勝に譲った後の記録がないそうです。
亡くなったのか、隠居したのか一切不明の謎の人物らしい。

こういう実在が確認されているのに動向が不明な人物の存在は、作家心を刺激するんだよね。
かく言う余も存在はあったんですが謎の人とされている北条六郎なる人物で小説なんか書いていたりするんだよなぁ〜
途中で挫折してますが(w

物語の始まりは氏舜が逆井城城代として玉縄衆を率いて佐竹や宇都宮と戦っていた天正五年から始まる。
この時、氏舜はまだ二十二歳である。若き当主であった。
ちなみに画像はさーりゃんとねんどろあずにゃんと逝った逆井城です。
氏舜や氏繁当時の櫓などが復元されている中世城郭ファンにはタマラナイお城ですよ。

どちらかと言うと勇猛というより学者っぽい氏舜は戦がキライな性格です。
兵士を大事に思う優しい武将として描かれていますね。
そんな氏舜が戦で追撃しなかったので小田原の北条四代目当主左京大夫氏政に呼び出される。
まあ、いろいろあって叱られなかったのですが、お目付を付けられてしまいます。
画像は戸松と茗子さんと逝った小田原城です。
戦国北条氏時代に本丸があった曲輪からミタ小田原城ですよ。

ちなみに玉縄北条氏の本拠地は大船にある玉縄城です。
でもここは女子高があるので難攻不落のお城になってシマいました。
でもね、ン十年前に一度だけ城攻めした事がありますよ。
事務所に逝ったら誰もいなかったのでそのまま校内を歩いて来たよ。
これが今だったら確実に通報されますね。
写真を撮ったはずだが、どこにいってしまっただろうか・・・・

玉縄北条氏の管轄は鎌倉にも及びます。
そんな氏舜の元に氏政から安房の里見氏へ婚儀の花嫁を届ける使命を命令されます。
花嫁と入れ替わりに北条に来たのは一人の尼僧でした。
彼女は小弓御所足利義明の孫で里見義弘の娘である青蓮尼であった。

青蓮尼は叔母である旭山尼がいる鎌倉の東慶寺に入ります。
なので舞台が鎌倉になる場面も多いです。
そんな鎌倉で氏舜と青蓮尼のラブロマンスが・・・・・
しかし彼女は氏舜と結ばれる事はなかったのである。

この鎌倉鶴岡八幡宮はまだ大銀杏が倒れる前に逝った時の写真です。
懐かしいですねぇ〜

いろいろあって氏舜は隠居しちゃいます。
玉縄北条氏の当主は弟の氏勝になりました。
で、時は天正十八年。
氏勝は玉縄衆を率いて最前線の山中城に入ります。
しかし兵力に劣る北条方は圧倒的戦力の豊臣方によって山中城は半日で落城。
氏勝は僅かな兵で退却するが、すでに小田原城は包囲されているので玉縄城に向かいます。
そこで氏勝は兄氏舜によって兵や民を守る為に重大な決断を迫られる事に!!
そして当主を去った氏舜のその後は?
気になる人は伊東さんの本を買ってあげてね。

そんな訳で久々に燃えた北条一族でした。
また玉縄城を攻めたくなりましたよ。
では股ドール!!

宜しかったら、ポチッとシテくれると嬉しいです。
にほんブログ村 コレクションブログ ドルフィードリームへ
にほんブログ村