「そして毎日あなたを思った」山口由子

1969年生まれの山口由子
1968年生まれの鷺沢萠
まぁ年齢が近いだけで関連はないのだけど。
1年のうち2回ほど一定期間ハマる。
とうことでは、私にとっては共通点がある。


以前は30歳過ぎてからの少ない作品、「さいはての二人」、「失恋」、「ウエルカム・ホーム!」を特別な思い入れもあって好んでいたのだが。
「ウエルカム・ホーム!」は特に男の描き方が素晴らしく、なんでこんなに男の子どもから中年男まで自在に書けるのか?驚嘆しました。
実際読んだのは彼女が死んで後のことで、だからよけいショックでもあった。
この晩年の作品からは、彼女の死を嗅ぎ取れるようなものは欠片もなかったからね。
今丹念に読めばなんか気がつくかもしれない。などと思うのは不遜か。
しかし、惜しい。つくづく惜しい。

http://www.alao.co.jp/2004ArchivalDairyAlaoYokogi/SagisawaMegumu/image005.jpg
去年の晩秋は20代前半のエッセイと「帰れぬ人」、「葉桜の日」、「駆ける少年」を寝床でずーっと読んでいた。これら一連のだいたい10代、20代そこそこの若者たちの物語は、バブル崩壊前夜から祭りのあとの余韻を背景とし、まだまだ少年少女でしかない主人公たちの「その日暮らし」を描いている。


馬鹿くさいバブリーな大人社会との対峙の仕方、少年たち、少女たちの社会との距離を的確に描き、うまいなぁ、よくわかってるな(エラそうですまん)そして風俗小説としてもおもしろい。
生まれたのがちょっと「遅かった」、祭りの傍観者。世の中バブルだっていうけど、なにそれって感覚のズレ。
こうした90年代前半の時代の空気を吸った経験があるものには、再読すれば何かしら思い当たることが見つかるし、小説を読みながらいつしかあの時を事細かに思い出す事にもなる。
鷺沢萠の初期の作品は、その意味では「この時の私(たち)ってこうだ」という時代の断片を描いた一種の記録で、書かれるべくして書かれたものといえる。まぁ、一般的な評価はどうなってるのか知らないが。
とにかくいろいろと思いだされるし、こちらの記憶を呼び覚ます効果があっておもしろかったし、悲しくなった。



閉店したあと徹夜でだらだらする。朝まで飲んで始発で大学へいく女の子。
はしごの最後はいつも同じ友だちの部屋。男も女も雑魚寝して部屋の主が玄関廊下で寝る。
朝方寒いからと横で寝ている男子のコートを奪い、そのまま拝借して学校へいった彼女。
明け方に気絶するようにダウンしても9時の目覚ましでバイトに行くヤツ。
別れ話の最中の二人がばったり鉢合わせしても無関心で見守るオレたち。


確かにみんなこんなだった。いまだ自分がなんなのかを知らないが、オレも君もあの子もこの世にたった一人。とりあえずそれで十分だ。
どんなに毎日つるんでいても、わかっているのはある日を境に別れるってこと。
自然にそうなるだろうと思いながら、日々を過ごしていた。
まだ何者でもない一瞬を一緒にいたこと。
そんなことの多くがうまく描かれているのが、初期の小説なんである。


20代前半の余計なものをそぎ落として作られたドキュメント風の硬質なものに比して、30代に書かれた小説は、色いろ含みのある恋愛ものであり人情モノといった「物語」にたどり着いていて、抜群に面白くなっていたのに。
人情モノのさまざまなバリエーションをずっと読みたかった。


さて、山口由子ですが、山口由子といえば「Believe」(1999年)か。
そうなんでしょうが、個人的にBelieveが出る前の、アルバムで言えば「Fessey Park Rd.」(1998年)が好きなんである。ジャケットがいいのだよね。
いまどうしてるんだろう。というわけで、これ。
Believeも出しておきます。

アルバムは重ねて言うが「Fessey Park Rd.」の明るくポップなのがいい。

フェッシー・パーク・ロード

フェッシー・パーク・ロード