杉山博昭「隠された実母――『モーセとエジプト王ファラオの聖史劇』に投影された社会的関心」

 杉山博昭「隠された実母――『モーセとエジプト王ファラオの聖史劇』に投影された社会的関心」、『西洋中世研究』4(2012), 149-69を読んだ。

 この論文は15世紀フィレンツェの聖史劇『モーセとエジプト王ファラオの聖史劇』のテクストを主に「母」をめぐる表現に注目しながら丁寧に読み解き、この芝居が観客にとってどういう意味を持つものであったのか考察するというものである。最初の部分にある先行研究レビューによると、イタリアの聖史劇は実際に出て来た資料のうちどれが上演用でどれが読み物向けに改訂されたものなのかまず分類・同定しなければならないというやっかいな問題を抱えており、ト書きや上演記録などとつきあわせて比較検討せねばならないらしい。『モーセの聖史劇』について直接の上演記録は残っていないそうなのだが、写本の状況などからして今残っているものは上演用だった可能性が高いらしい。この芝居はモーセの発見の物語を題材にしているのだが、『出エジプト記』に比べると王女に拾われたモーセの乳母の素性(『出エジプト記』では実母)が曖昧にされており、これはモーセと処女マリアから生まれたイエスを結びつける予表論的な解釈を誘う表現になっている。また、当時のフィレンツェに乳母制度や養子縁組に関する批判、つまり子供は実の親に育てられるべきだ、という考えがあったことをもとに、この芝居が乳母や養子の制度に関する肯定・否定両方の風潮を背景に消極的にこうした制度を維持する志向を見せていることを示している。

 もともと聖史劇というのはいろいろな知識が必要でなかなかわかりにくい分野だと思うのだが、そうした中でこの論文は母と子をめぐる表現に着目するということで他の分野の人にもわかりやすく読める切り口を提供しており、観客反応批評的な側面もあって面白く読めた。とくに乳母たちがドタバタを繰り広げる場面の分析については、イギリスの中世劇にも似た感じのところがあるのでとても参考になる。

 なお、この論文は同じ著者による『ルネサンスの聖史劇』の一部で、この本もとても面白かったのだが別の機会に取り上げようと思う。

おまけ:イギリスの中世劇についてのおすすめの本

おまけ2:同じ雑誌に入っている別論文のレビュー
オシテオサレテ「奏楽天使の中世 山本「天上と地上のインターフェイス」」