ちゃんとした恋愛映画〜『デッドプール』(ネタバレあり)

 『デッドプール』を見てきた。

 話はたいへん単純な復讐劇で、悪党のせいでアイデンティティと愛を失った男が復讐を遂げるというものである。主人公ウェイド(ライアン・レイノルズ)は恋人ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)と幸せに暮らしていたが、ある日突然ガンが発覚。治療のため怪しい人体実験に参加するが、このせいで皮膚がただれた不死身の超人になってしまう。ウェイドはデッドプールという変名で復讐に邁進するが、変わり果てた姿になってしまったためヴァネッサに再会したら拒絶されるのではと不安に思っており、自分が死んだと信じているヴァネッサの前に姿を現すことをためらい続ける。ところがヴァネッサが敵であるフランシスに誘拐され…

 ところが、この単純な復讐譚を時系列をバラバラにして、さらに独白、傍白、第四の壁の突破(これ全部違うので注意)などいろいろなテクニックを使って撮影しているので、話がものすごくシンプルなわりに見た目がけっこう複雑になっている。作りをいじくりすぎたせいで「この場面はいらないんじゃないか」と思うようなところも無いわけでは無いのだが(冒頭でフランシスが取引する場面とかって必要?)、ただそんなに見てわけがわからなくなるような話では全く無い。オフビートなジョークもいっぱいあるが、まあ笑えるのとそうでもないのと両方ある。ジョークについては、字幕はけっこうローカライズされていたな(台詞で『フォールティ・タワーズ』のバジル・フォールティの話をしているところが「Mr. ビーン」になってた)。

 下ネタが満載であるせいで一見バカな感じもするが、恋愛映画としては相当きちんとした作品である。ヴァネッサと出会ってからウェイドが病気になるまではロマンティックコメディかと思うような作りだ。いろいろ笑えるセックスシーンなどもあるのだが、どれも恋人同士の関係性と性格を示すための演出で、よくある必然性のないサービスカットではない。

 おそらくヴァネッサがこの手の映画に出てくる女性としては非常に奥行きのあるキャラクターなのがこの映画の勝因のひとつである。ヴァネッサはストリップクラブで働いていてたまに娼婦もしているらしいのだが、アメリカ映画に出てくる娼婦にしてはステレオタイプな描写が無く、かなりリアリティのある人物だ。アメリカ映画の娼婦やストリッパーというとやたら色っぽく、酸いも甘いも嚙み分けた苦労人で、疲れた男の癒しを与え…みたいなかわり映えのしない描写が多く、やたら娼婦を特別視したがるみたいな感じで辟易するのだが、ヴァネッサについては娼婦であることに過剰な意味づけがない。セクシーだが若干オタクなノリとからっとしたユーモアのセンスがあり、まあ傭兵のウェイドの彼女なんで普通人というわけではないのだが、欠点があるが基本的には善良かつ誠実で人間味に溢れた若い女性として描かれている。非常に苦労人ではあるのだがそのあたりの表現があんまりわざとらしくないし、自分の仕事に引け目も感じていない。ウェイドのほうもヴァネッサに一目惚れで娼婦だとか全然気にしていない。一方でヴァネッサが売春していたのをあてこするのは悪役で、これだけ下ネタ満載なのに、マトモな大人はそういうことについて悪口はいわないものだというようなほのめかしがされていて、そのへんがずいぶんちゃんとしている。最後は誘拐されてデッドプールに助けてもらうので、まあ結局ヴァネッサは古典的なさらわれたお姫様になってしまうのだが、ここも少々ひねりがある。ヴァネッサが悪役に殺されそうになったデッドプールを助ける見せ場があるし、さらに救出劇終了後はいつものペースでウェイドとケンカをしていて、弱々しいとらわれのお姫様ではない。ベクデル・テストをパスしないのが残念だが、他にもいつもぶーたれてるネガソニックとか、大家のアル婆ちゃんとか、セクシー担当じゃない女性キャラがけっこう立っているのは嬉しいところだ。

 あと、ウェイド/デッドプールの話については、ガンになって怪しい人体実験にすがる…というところがアメリカ的なのだろうなーと思った。ロクに保険も福祉もないアメリカでは、『ブレイキング・バッド』や『デッドプール』みたいに病人がヤバい金儲けやヤバい治療法に頼るというストーリーがけっこう心情的に理解しやすいのだろうと思う。