間違っていませんか?「狩猟民族」と「農耕民族」の使用法

今日もラジオを聞いていたら、「終身雇用の日本社会は農耕民族型で、アメリカのキャリア優先社会は狩猟民族型」とゲストでどこかの言論人がしゃべってました。この手の引用パターンはうんざりするほどあちこちで見聞きします。どんな学者も知識人も、「日本は農耕民族で、アメリカやヨーロッパは狩猟民族だ」と刷り込まれて、本能的に信じて、疑う余地などない、絶対的な真実のように語りますけど、あきらかに間違っていると思うのです。本当は「間違っている」と断定したいのですが、誰も指摘する人がいないので、もしかすると私が間違っているかもしれない可能性もあるので、一応「思うのです」としておいた上で、話を進めます。

農耕民族(のうこうみんぞく)とは、生活の主体が稲作などの農業活動により形成されている民族とその文化をいう。アジアなどのモンスーン性気候の地方に多く見られる。牧畜民族に対比していわれるもので、和辻哲郎の『風土』のなかで、比較文化論としてこの両者が対比されて語られたことから、よく使われるようになったもの。但し、和辻哲郎比較文化論の正否については地理学者などから批判もある。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E8%80%95%E6%B0%91%E6%97%8F" より作成

和辻哲郎は、農耕民族に対して牧畜民族といっているのであって、どうも狩猟民族という言葉は使っていないようです。ネットで検索しても、狩猟民族という定義は見つかりません。

歴史の教科書(たぶん世界史)の裏表紙を思い出してみて下さい。おそらく例外なく、全世界の人類が、いつから狩猟採集生活から農耕生活に移行したのか、という全体図が載っていたはずです。その図を見て皆一様に驚いたはずです。
日本だけが世界に遅れて、農耕社会の成立が遅れ、いつまでも狩猟採集生活をしていたのだと。

(こういう図があったはずです・黒色の突出している部分が日本)
これはある意味、日教組にとって自虐史観を植え付けるのにうってつけの図だったのではないかと今になって思いますが、三内丸山遺跡にみるように、日本の縄文時代における世界最古の土器等高度な文化、長期にわたる定住を知れば、農耕社会への移行の遅れは、特に文明の遅れとはいえません。それよりも、世界の中で特殊な文明を確立した日本の片鱗がそこに発見出来るでしょう。

遅れたとか遅れてないとかは別にして、その事実だけを取り出してみると、世界で一番早く農耕社会に移行したのは、農耕発祥の地であるシリア地方や中国などの世界4大文明に関する地域です。農耕の始まりの要因については、当ブログ
2005-09-27 ■[社会]国勢調査に見る人口のあるべき姿と少子高齢化に次のように書いています。

元々、人類の進化の歴史は、ハンターとしての歴史でした。狩猟技術の発展と共に、人口を増やしながら、大型動物を捕り続けてきました。しかし今から約1万年ほど前、マンモスをはじめとする、ほとんどの大型動物を捕り尽くしてしまったとき、獲物を失った人類は、本来その人口を減らしていく運命にあったはずです。しかし、そのタイミングで食糧生産を発見してしまった人類は、さらなる人口の暴発を続け、今日まで生き抜いてきてしまったのです。

おそらく、植物環境が豊かでない地域で、狩猟動物の減少や寒冷化の揺り戻しなどが原因で、のっぴきならない状況に追い込まれた民族が、やむにやまれず生み出したのが農耕であったのでしょう。それが今から約1万3千年前です。その地では、その時から農耕社会が始まったのに対して、日本の場合、弥生時代を農耕社会の成立とすると、一万年以上遅れて農耕社会に移行したことになります。それまでは狩猟採集生活をしていたのです。

<つづく>