昨日、昼寝しまくったせいか夜眠れず、睡眠不足のまま会社へ。
淡々と仕事をこなし、定時になったら逃げるように退社。
帰りにTSUTAYAへ寄る。
最近気づいたことなのだが、新作映画の場合ビデオ版はほとんど棚から減らず、DVD版ば
かりが借りられていることが多い。やはり多くの人はDVDに移行しており、ビデオを見る
ことなんてあまりなくなっているのだろう。今はテレビ番組もハードディスクに録画す
る人が多いというし、近い将来、ビデオテープという媒体は消えてなくなるかもしれな
い。カセットテープがそうであったように。

常識のウソ277 (文春文庫)

常識のウソ277 (文春文庫)


中学生のころ、「狼に育てられた少女・アマラとカマラ」の話を家庭科の授業で
聞いたことがある。なんでもインドにはかつて狼が育てられた姉妹がいて、姉
のほうは成長してから人間に発見されて育てられたので最後までしゃべることが
できなかったが、妹のほうは比較的小さかったので言葉をよく覚えた。このよ
うに幼児期の環境は重要である、という話だったと記憶している。
この話は同級生の間でも話題になり、10年以上経った今でも覚えているくらい
印象深いのだが、実はこれ、全くの作り話である。
本書によればそんなことは動物行動学的にありえないという。

今世紀半ばに欧米のマスコミを賑わしたインドのオオカミ少年の話はみんな
作り話である。こうした記事の大部分は、ミドナプールのJ・A・L・シング師と
いう人物の(何の裏付けもとれていない)発言を唯一のニュースソースとして
書かれている。彼はおそらく有名人になりたかっただけなのだろう

本書はそういう世間一般で真実と思われていることのウソを暴くことを目的としている。
例えば「開発援助は第三世界の発展に寄与していない」ことや「ガリレイカトリック
に迫害されていない」ことが暴かれる。雑学(最近はトリビアというらしい)好きの人
にぴったりの一冊と言えよう。
最後に、特に目からウロコの興味深い一節を、少し長くなるが引用しよう。

飢餓は食糧が足りないために起こる?
 食糧の絶対量の不足が原因で起きる飢餓は滅多にない。過去数百年間に発生
した飢饉の実態を調べてみると、その大方は、地球全体として見た場合はもち
ろんのこと、当該地域にさえパンや米は充分にあったにもかかわらず飢餓とい
う悲劇が起きているのである。
 たとえば、一九七四年のバングラデシュ大飢饉。その年、バングラデシュ
内の米の備蓄量は一九七一年ー七六年の6年間で最高だった。また一九七三年
エチオピア飢饉の際は、現地の食糧生産高は前年よりごくわずか減少しただ
けだった。その他の大飢饉についても、食糧の絶対量は充分だったことが分か
っている。たとえば、一八四五年のアイルランド大飢饉。このとき約百万人が
餓死し、大量の移民が出たため、人口は八百万人から五百万人に減少した。だ
がそのあいだにも、何千、何万トンの肉や小麦がアイルランドからイギリスに
輸出されていた。
 ハーバード大学経済学部アマーティア・センによれば、飢餓の本質的な問題
は食糧の量ではなく、その分配にあるという。つまり、原則的には全員が食べ
るに充分な食糧がありながら、分配に与れない人が大勢いるということである。
食糧が最終消費者の手に渡らず、倉庫で空しく腐っているのである。たとえば、
先に挙げた一九七四年のバングラデシュ大飢饉の主因は、その年の秋に大量の
失業者が出たことだった。夏の大洪水によって各地で農作業が停滞したために
何十万人という労働者が仕事にあぶれ、その結果米を買う金を失ったのである。
前年からの備蓄も充分あったし、しかも洪水によるその年の収穫への打撃も大
したことはなかったにもかかわらず、結果的には何千、何万という人たちが餓
死することになった。
 セン教授によれば、飢餓を救う最上の方策は直接の食糧援助ではない。この
方法は大体において先進諸国の良心を慰めるだけ(また、ついでに言えば、われ
われのバターや肉や小麦の山を削ることになる)であり、現地の生産意欲を失
わせ、事態を悪化させるだけである。飢餓を救う最上の方策は、飢えている人
々に現金を渡すことである。そうすれば、彼らはすぐ近くの店へさっさと食糧
を買いに出かけるだろう。