「溝口健二の神話1〜4」
日経新聞 2009.2.1(日)付〜 毎週日曜4回連載
荒々しい黒澤より、潔癖な小津より、女々しい溝口が好きである。
アポロン的な黒澤よりディオニュソス的な溝口の方がそそられると言いましょうか...。
学生の頃、映画論の講義でよく語られていた、溝口健二の特異性。
新聞記事とはいえ、毎週日曜日、朝刊を開くのが楽しみなくらい、
とても重厚な内容で、あらためて再認識したことと、おどろきの新発見がたくさんあった。
奇人変人で完璧主義のサディスト。
映画のセットなのに美術さんでは手に負えず、建築会社や材木店までが「原寸大」で建てこんだとか、俳優を追いつめ女優を降板させたりとかは、よくある話。
例えば、香川京子への指示。相手のセリフや動きに反応しているか、という意味で、
「反射してください。反射してますか」。
また、脚本家を志す新藤が溝口に師事する際に告げられたという言葉、
「才能ない人、ぼくは嫌です。損するから」。
脚本家の依田義賢がそんな溝口を評して、
「まだ奴はしゃぶれる、とにらむ、鬼畜の眼がらんらんと光っている」。
圧倒的な真剣勝負です。
こんなリアリストの辛らつな目で描かれるスクリーンの中の女に、ワタシのような婦女子(腐女子?)が、赤子の手をひねるように簡単にコロっとやられるのもむべなるかな。
山田五十鈴いわく
「女の生活をじつによく知っていらっしゃる」
「気どり澄ました瞬間や、働いているときの状態ではなくて、家庭のなかでの女の自堕落さとか、女のエゴイズム、不潔さ、そういったものをまことに正確に観察しておられる」
事業に失敗した父に代わって芸妓となり後に子爵の妾にまでなって一家を養った姉の影響が大きいといわれるのも有名な話。
進藤兼人いわく
「女が支える家で育った溝口さんは、女の心を人生を通してつかんだ」
後年になっても、元やとなに背中を斬られたりしながら。
小津の人生が立派で風穴もない"散文的人生"であるのに対して溝口の人生が隙間だらけの発砲破れにもかかわらずそこここに天衣無縫なものがひそんでいる"韻文的人生"と比較されているのも、至極、なっとく。
しかし。
甲斐庄楠音という画家は、新発見!
「横櫛」という日本画に、ひさびさに私、ドギモを抜かれました。
これは、ハンスメムリンクじゃないですか!
まるで、クエンティン・マセイスじゃないですか!
着物こそ着ていても北方系のヴィーナスやイブのようないでたち。
大興奮です。
画壇からは「穢い絵」と評価されてまったく認められていなかった日本画家だが、溝口の映画の着付けなどの風俗考証を担当していたという。
まるで茶人のようないでたちで男色趣味も多少あり、酔うと女形の声色で素人歌舞伎をやりはじめるくらいなので、甲斐庄が着付けをすると見違えるように映えたというその着付け、意識して見たことなかったのが残念。
フランスのヌーヴェルバーグにウケけた理由も、よくある話だが、
意外にもフランスと日本で、淪落する女像がシンクロしているのが不思議。
溝口のワンシーン・ワンショットの手法が、リヴェットやゴダールのスタイルに影響を与えたとか。
カメラの長まわしのような粘着する視線は、かの恋愛大国フランスだからこそウケたのだろうか。
そして、ドゥーシェの面白い指摘
「ゴダールと溝口は非常に似ている」
「高貴な精神をもっているのに、男の支配を受け、娼婦であらざるを得ない立場に追いやられる」
「ある映像、あるショットが美しいものになるやいなや、不幸なことが起こる」
「美を究める、というのはリアリティーからの逃避。それが悲劇を招き、死につながる」
「偏っていてもすごみのある人間」ばかりを重用してできあがった溝口の映画美術。
私にはいまだに壮大な迷宮で、探索しているつもりでもまだまだ序の口だということに、めまいがしてきましたってゆー話し。
長いわい!
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