『嘘をもうひとつだけ』(東野圭吾/講談社文庫)

嘘をもうひとつだけ (講談社文庫)

嘘をもうひとつだけ (講談社文庫)

 事件に関わっている側の人間から物語を描いていて、その謎を脇役である加賀刑事が解いていきます。『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』と違う点は、一つは、必ずしも真相が明らかになっているわけではないということ。もう一つが、必ずしも語り手が犯人というわけではないというところですね。
(『野性時代』2006年2月号「東野圭吾が語る全作品解説」p51より)

 上記引用の著者自身の言葉の通り、普通の倒叙ミステリのようでありながら、それとはちょっと違った仕掛けがしてあるところが面白い作品集です。5つの作品が収録されていますが、表題にもなっている『嘘をもうひとつだけ』が一番最初に載ってて、それが普通の倒叙ミステリと同じく刑事対犯人の図式になっていて、それが後の4作品の工夫を際立たせることにつながっているのがとても巧みだと思います。
(以下、長々と。”未必の故意”についてのイチャモンも少々。)
 因果の流れとして印象に残っているのが2作目の『冷たい灼熱』です。これは、読んだ当時(あるいは少し前)には確かに社会問題というかニュースに取り上げられた問題でして、今読み返すと記憶の掘り起こし作業が少し必要になりますが、後味の悪さは変わりませんね。3作目『第二の希望』はえぐいですね。インパクトが残っているのは4作目『狂った計算』です。複雑なのは計算ではなく人の心、ということになるでしょうか。いずれにしましても、傑作ぞろいの逸品です。オススメです。
 ……と、これだけ持ち上げておけば、ちょっとくらいイチャモンつけても大丈夫ですよね(汗)。私が本書を傑作だと思ってるということは、まずもってハッキリさせておきます。で、ネタばれ紛いのイチャモンなのです。5作目『友の助言』ですがこの作品には、”未必の故意”という単語・法律用語が出てきます。作中の定義を引用しますと犯人はその犯行がうまくいくことを望んでいるが、仮にそうならなくても仕方がない(p260より)ということになってます。そして、本件の場合は未必の故意という消極的な殺意で結果も生じてないから犯罪じゃない、と読めるかのような筋になっています。しかし、未必であろうがなかろうが、故意は故意です。故意に基づいて犯罪行為が行われれば、結果が発生すれば既遂犯、発生しなければ未遂犯ですが、いずれにしても立派な犯罪です。本件の場合でも、もうちょっと詳しく状況を煮詰めたくはありますが、十分危険な、結果発生の可能性の高い行為だと思います。したがって、本来なら殺人未遂に当たり得る行為だけど証拠がないから手が出せない、というのが正確なところだと思います。
 似たような言葉に、こっちは法律用語じゃなくてミステリ用語なのですが、”プロバビリティーの犯罪”というのがあります。「こうすれば相手を殺しうるかもしれない。あるいは殺し得ないかもしれない。それはそのときの運命にまかせる」という手段(『新版 探偵小説の謎』[江戸川乱歩教養文庫]p98より)と定義されています。法律用語とミステリ用語のニアミスです。”プロバビリティーの犯罪”の方は、結果発生の確実性はあきらめているという点では”未必の故意”ですが、それに加えて結果発生の危険性がなくはないけど極めて低くて、それだけみると犯罪性があるとは思えない行為によって目的達成を図ることを”プロバビリティーの犯罪”と呼ぶのだと思います。具体的な作品としては、谷崎潤一郎の『途上』が有名なので、興味のある方はそちらをお読みになられるとよろしいかと思います。
 とまあ、難癖をつけてはしまいましたがオススメはオススメですので、未読の方はぜひ読んでみて下さいませ。