『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』(ケイト・サマースケイル/早川書房)

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

 ウィッチャーがロード・ヒル・ハウスでつなぎ合わせた家族の物語は、サヴィルの死が複雑にからみ合った欺瞞と隠蔽の物語であることを暗示していた。一八六八年の『月長石』をはじめとするこの事件が産んだ探偵小説は、これを教えとしている。古典的殺人ミステリの容疑者たちはみな秘密をかかえ、その秘密を守るために嘘をつき、しらばくれ、捜査する者の質問をはぐらかす。誰もが隠しごとをしているために、誰もが罪を犯したように思える。ところが、そのほとんどの者がかかえる秘密とは、殺人ではない。それが探偵小説の主題とするトリックなのだ。
(本書p132より)

 原題は「THE SUSPICIONS OF MR. WHICHER or The Murder at Road Hill House」です。邦題の『最初の刑事』は、本書の主要人物の一人にして探偵役ともいえるジョナサン・ウィッチャーが、スコットランド・ヤード刑事課が1842年に創設された際に最初に刑事となった8人のうちの1人であることに由来しています。
 本書は、1860年ヴィクトリア朝時代の英国で実際に起きた幼児惨殺事件「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」を題材としたノンフィクションです。ノンフィクションではありますが、その切り口・読み口は少々変わっています。すなわち、実際の事件を題材にしつつ、それを「カントリーハウス・ミステリ」*1という小説形式に仕立てて読者に提示しているのです。さらに、この「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」がウィルキー・コリンズ『月長石』*2やチャールズ・ディケンズの諸作に、ひいては古典的探偵小説全般に大きな影響を与えていた点を指摘しています。つまり、ノンフィクションをフィクションに構成し直した上で、探偵小説というフィクションについて考察しているのです。そのため、ノンフィクション作品でありながら一種のメタ小説(メタ・ミステリ)のような内容にもなっています。ノンフィクションとしての退屈さを補うためにフィクションに仕立てた、という意地悪な見方もできますが(笑)、だからといってフィクションとして読んでしまうと少々退屈で、そんなときにノンフィクションとしての分析や薀蓄の妙が活きてくるというのが面白いです。
 とはいえ、なぜこのような構成になっているかといえば、ひとつには探偵小説の形式が現実に起きた事件の分析についても一定の有効性があるからだといえます。すなわち、

 フォレスターの作品に登場する女探偵はこれを「探偵の能力は事実を見つけ出すことより、事実をつなぎ合わせその意味を見出すことにある」*3と言い切っている。
(本書p307より)

と述べられていますが、現実の事件でもフィクションでも、こうした事実をつなぎ合わせを行い、さらにはそこから「物語」を作り出す過程までも含めて、実は非常に近しいものだということがいえるからです。また、ウィッチャーが陥る境遇がそうなのですが、自身がたどり着き、それが真実だと確信しても、それが何らかの理由で否定されてしまったとき、その真実は果たしてフィクションなのでしょうか? それともノンフィクションなのでしょうか? そうした虚実の境を表現するための方法として、フィクションをノンフィクション形式で著すという本書の手法は極めて有効に機能しています。
 逆にいえば、フィクションの事件では作者がフェアプレイの精神に則って事実を提示してくれますので、それに基づいて安心して推理することができますが、現実の事件ではいかなる証拠がどこに隠されているのか、その証拠が適正なものであるのかといった点について、フェアプレイの保障があるわけではありません。証拠を見つけ出すために執拗に捜査を行おうとするとき、そこにはプライバシー神聖視の風潮(裏を返せば刑事への偏見)といったものも浮かび上がってきます。また、そうした証拠の性質、すなわち心理的証拠から物的証拠へという証拠の重要性の変遷についても本書では触れられています。探偵小説としてのみならず訴訟論としても興味深い作品であるといえます。
 実際に起きた事件を題材にしつつ探偵小説論が展開されている本書では、現実の事件であるはずの「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」が本書内においては内枠にあることになります。「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」をめぐって報道が加熱していく様子も本書では描かれています。事件の真相を巡っての推理合戦は、一種のメタ・ゲームであるといえます。そうしたメタ・ゲームを内枠の物語として語る上でも、本書の構成は優れています。
 本書が書かれたのは2008年です。21世紀から19世紀の事件を振り返る本書では、当時の世相や価値観(「品格ある中流」と労働階級である警官といった階級差別の構造)からウィッチャーの探偵活動を無礼なものと糾弾しておきながらも一方で新聞報道や投書は事件の真相について無礼で好色な仮説や考えを並べ立てるといった、それまでの伝統的な価値観が変遷していく過程が描かれています。英国の時代論としても非常に興味深い内容だといえます。もとより、古典的探偵小説ファンであれば必読書だといってもよいでしょう。とにもかくにもオススメの一冊です。

*1:本書注釈p453では、「古典的カントリー・ハウス殺人事件は、妥当性を攻撃するもの、卑しい心理的欲求や欲望を赤裸々に暴くものなのである。」と述べられています。

*2:ちなみに本書では『月長石』についてのネタバレがありますので未読の方はご注意を。

*3:アンドルー・フォレスター『女探偵』(1864年)より。