松本英子『謎のあの店』

 「どうせあれだろ、あんた松本英子さんの大ファンだから一も二もなく諸手を挙げて大絶賛する感想だろ」。その通りです。悪いかよ。

 時々松本英子先生は謎めいて見える。「まる顔の、額に『松』の字の、時々邪悪な目付きの人物」が先生の姿。厳密に「似顔絵」の字面に従った場合正直本人に似せる作業をほぼ放棄しているに等しくその意味で「似顔絵」と言ってしまうコト大変微妙な人物が諸々のお題に対し諸処ルポする。その結果たるや、例えば初めて経験する出来事に対しての率直な感想、時に斜め気味の切り口が妙な説得力を放つ総括、更には作者自らの余人には量り難し過去体験*1が物差しとなった挿話、それらいずれも独特な作者の感性とも云うべき心地よさに渦巻かれ読者は不思議な共感に包まれる・・・そんな気分に誘ったのはあの人を喰った「似顔絵」の人物。ちょっと、おふざけが過ぎているようで、コレが時々読者の内面にまで強く突き刺さるようなえぐるような鋭い一撃を持つ言葉を放ってルポを表層的に終わらせない彩りを添える。そのギャップが時々謎めいて見えたりする。

 本書はそんな先生の得意分野、謂わば王道とも言えるルポ系漫画、お題に名が付く「お店」について、その共通点は「お店」だけ、と言わんばかりに実に自由にルポしてくれている。一口にお店と云ってもそこは先生好みの、もしくは興味をそそるような選定をしているだけあってドレもコレなかなか一筋縄ではいかないお店ばかりで、いろいろでモノを買い求める至極標準的(?)なお店から飲み食いするお店、ここら辺までの常人の常識と想像の範囲内に収まるお店*2から中にはモノも飲食も扱わないお店も登場する。何を扱うか? ここはお約束通り「読んでみてのお楽しみ」としておきましょうか。

 そんなお店が全20話、一話につき一軒が当てられいるのでその意味で20種類のお店のルポを楽しむ事ができる本書。読み通してみるとそれら各ルポの余りに自由すぎる紹介の仕様に遂には単純な「あるお店を紹介するルポ」としての範疇を超え「お店を舞台としたある物語」と言うべきでないか、と読者をして錯誤を伴うような話があることに気づく。もちろんすべての話が経験・事実に取材したお話なのだろうが、この際乱暴に、仮に物語性を意識して読んだ場合やはり「主役」「脇役」等の役割を仮に振る事で理解しやすくなる。主人公は舞台であるはずの「お店」自体の事もあり「お店の構成人」と云うコトもありその他の登場人物は「脇役」であろうがそれら脇役も主役と舞台を際立たせるために非常によい役割を担ってくれる。「お店」紹介者の松先生はどんな役割だろうか?あ必ず出演するのであるが基本的には「舞台」である「お店」を際立たせるための脇役、狂言回し以上の役割を担わないあくまでも舞台の演出の一環としての登場を自身に課している役割の気のする。それにしても、と言うよりそれ故にと言うべきか、その観察眼の鋭いコト、またその観察眼を鋭くするに足るそもそもの作者の感性の特殊さが深いコト。私は本作の連載雑誌『ネムキ』を読んだ事がなくそのコンセプト「眠れぬ夜の奇妙な話」に正直松本英子先生が合うとは思えなかったのが本書掲載のあるお話で松先生が瞬時に読み取りえぐり出したある男女のお話に正直背中が寒くなる事を感じ雑誌のコンセプトの正しさ少々納得、同時に松先生の底知れぬ感性に「この女油断ならねぇ」と改めて驚愕したのでした。
 「油断ならねぇ」ついでにも一つ。本書で紹介されるお店、その紹介としてしばしば松本先生の過去に動機を発するお話の出てくる事。過去の、何かのきっかけが邪魔をして、あるいは何かのきっかけを得られずに拾い損ねた何か、それが本書では行きそびれたお店であったり遂に行く事叶わなかったお店だったり、あるいはお店の「商品」だったりする。それら一つ一つを数えていく事、自ら行く事戒めていたお店への来訪は未来を呪縛した過去の出来事の解放、縁なく行く事能わなかったお店については思い出のままに残る過去を過去のままに総括、それらは松先生の人生中間報告現在おおむね勝利宣言とも読み取れる様であり、なんと松先生のお店探索に付き合わされているつもりが実はもっと広い所に付き合わされている事に気づく。この時だけ舞台設定とその主役が「お店」とから交代、主役舞台共に松先生そのモノになっていたりする。さながらお店で飲んでいたのが実は孫悟空の釈迦の掌よろしくそこは松先生の掌の上であったりして、そんな場面に引き込まれる酔夢と一瞬垣間見たような感覚。モーニング・ツーで『荒呼吸』が連載されていた頃欄外に載っていた「ムダにいろいろ業の深い人」と短く投げやりの作者紹介文がただの手抜きでなく実はかなり的確であったことに気づいたりする。「やっぱ油断ならねぇ」。

 結局まあ何が言いたいかと云えば、ルポとして十分以上楽しく読める本書松先生新境地も垣間見えてただのルポでもないのよ。これはファンとしてとても嬉しく思います。

謎のあの店 1 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

謎のあの店 1 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

 ところで本記事、本の紹介・感想という内容上わかりやすいように某通販サイトから引っ張ってきて最後に晒してますけど、コレはあくまでも記事の飾りとしての役割であって、近くに本屋がない等のやむを得ない事情がない限りリンクをクリック、サイトでポチって本書を購入するような愚は避けてもらいたいな〜。本書は「お店」を紹介する本だ。せめて本書を購入するときくらいはその「お店」と云う形態を抹殺してしまうかもしれない方法は避けてもらいたいな〜。もしかしてあなたがこの本を買った小さな書店が何年かしてとてもすてきに鈍色の輝きを放っているかもしれない、その時あなたが注文した事がきっかけでその店先に発売日の度に松本先生の本が並べられているとしたらこんなに素敵な事は無いじゃないですか。
 結局まあ何が言いたいかと云えば、○マゾンでは買うな!

*1:この場合「経験しなかったコト」も「過去体験」に含まれる

*2:範囲内と云ってもそのシチュエーションは多くかなり範囲外と言って良いのだが