『刀狩り 武器を封印した民衆』

藤木久志
岩波新書
ISBN4-00-430965-4
近世近代における日本人の武器保有について書かれた本。
内容的には、豊臣秀吉が行った刀狩りは、武士と百姓の身分差をはっきりさせることが目的で、民衆から武器を取り上げたものではなかった、日本人が武器を持たなくなったのは、寧ろGHQの武装解除命令に拠るところが大きい、というものであり、テーマ的には、日本人は自らの意志で武器を封印してきたのだ、平和憲法を守れ、という本。
どうも内容とテーマとが必ずしも一致していない感はあるが、そういう、岩波らしいと苦笑するしかない本ではある。
私個人的には、些か旧聞に属する印象はあったし、こういったものは好きではないのでパスしたいところだが、こういうのが良いという人や、秀吉の刀狩りで近世の百姓は武装解除されたのだと思っている人なら、読んでみても、という本だろうか。
問題点としては、史料の制約もあるだろうし、単なるレトリック上の問題なのかもしれないが、論証に使われている史料が断片的で、初めに結論ありきでやや強引な部分もあるような気がする。当時の人々が自らの意志で武器を封印したのだ、ということは殆ど全く論じられていないし、私としては寧ろ逆に、この著者は秀吉が押し付けたものだと考えているのではないかと、読んでいる途中では思っていた。
全体的には、特に悪いということはないので、別に薦めはしないが読んでみたいのなら読んでみても、という本ではないかと思う。
以下メモ。
・戦乱の絶えなかった中世において、刀を指して武装することは立派な大人としての証であった。
・近世の村々の争いにおいても、他人の脇差を取ることは、重大な逸脱行為と看做された。脇差が、帯刀を許されなかった一般の百姓にとっても、それだけ重要なものであると認められていたのである。
(つまり、日本刀が武士の魂だというのは、鈴木眞哉がいうよりは根が深そうだ)