「人間関係」と「記号関係」
上のセクションで長々と述べたとおり、sasadaは今話題の用語を理解してません。
その上で持論をどうやって展開するか、難しいところです。
しょうがないので、「人間関係」と「記号関係」というオレ用語を使うことにします。
言いたいこと
考察
私は、常に (はてな様に対して) 「顔の見えるサービスで有って欲しい」と主張し続けています。また、「(多くの人にとって) 楽しいサービスであって欲しい」とも訴えています。
また、(いわしやこの雑記で) 論争における常識や社会性、論争相手に対する理解や思いやりを説いてます。
私は、はてなというコミュニティにおいて、ユーザー名の後ろに“人間の存在”が見える関係を構築したい、構築して欲しいと考えているからです。
はてなのユーザー名の後ろに居るのはゲームキャラクターではないです。人工知能でも人口無能でもないです。自己を投影した鏡でもないです。*1
はてなユーザーは、もっと大きく言えば自分以外の全ての人は、決して上記のような“記号”では有りません。そこに“有る”のではなく、“居る”のです。
こんな当たり前の認識が、はてなだけでなく現代社会全体で崩れつつあります。
まあ現代社会の病巣についてここで語るつもりは有りません。
まずは、人力検索コミュニティです。
人力検索ではダイアリー等に比べてユーザー名の重要性が低く、その扱いも軽いため、生まれ変わりや多重IDに対する抵抗感も薄くなりがちです。
はっきり言えば、人力検索(のみ)におけるユーザー名は (本人にとって)代替可能な“記号”に過ぎません(もちろんビジネスユーザーは除きます)(ランキング上位者や高額ポイント購入者も除きます)(自分のキャラに愛着を持つ(常連)ユーザーも除きます)。そして、周りのユーザーも(実)存在感の希薄な“記号”として扱うことが可能です。
私は、人力コミュニティーで時折発生するギスギス間の根底には、ここから生じる「記号関係」が有るのではないかと考えてます。もちろん、人力の中でも相手の顔(や心)が見える「人間関係」が成立している質問やいわしは、住み良い世界に見えるのですが。
住み良い人力検索コミュニティの構築にとって重要なのは、ユーザー名の意味を「記号」から「人間」に戻すことなのではないかと思います。
二つ前のセクションで『「不正を許さない運用」については、(特に人力検索において) 実はそれなりに難しい』と書いた理由もここに有ります。
いまの記号関係を残したままでは、不正に対する罪悪感は消えませんし、抜け道を作るユーザーは後を絶たないでしょう。
また、「人間関係」を構築したい(であろう)運営陣は、ユーザーの行為は処罰できても、“人”であるユーザー自身は簡単に裁けないでしょう。(この対応は正しいと思います)
この状況下で、「記号関係の推進」は「記号関係の容認」と受け止められ、事態を悪化させる危険が有ると思います。
私は、人力検索コミュニティーにおいて、「記号関係」は恥ずかしいものであるとして認識・排除されるようになるまで、「記号」機能の拡張は避けるほうが良いと考えています。
その方策が整うまで(要するに割れた窓がふさがるまで)、人力検索へのニックネーム機能の導入は避けるべきだと思います。
自分自身にも生まれ変わり願望が無いわけではないので歯がゆいですけど、ね。(^^;