”あさって笑う”小谷美紗子×友部正人@南青山MANDALA 5/12

初めて行く会場でしたが、ステージが近くてびっくり。視界に小谷さんしか入らないので、どこかの部屋のなかでわたしだけに歌ってくれてるような都合のよい錯覚に陥ったわ。5年ほど前は、小谷さんは3ヶ月にいっぺんはここでライブをしていたそうな。弾き語りならMANDALAがいい!と思っていたとか。ピアノTrioをやるようになったら、うるさすぎて(キャパが小さいから)違う会場でのライブが増えたとのこと。ひさしぶりに“かえってきた”、それも小谷さんが大好きな友部さんとの2マンということで本当に嬉しそうだった。そして並々ならぬ気合と集中力!1月のライブが風邪で声の調子もろもろ不完全燃焼だったのですが、今夜はこの何年間のなかでも目を見張る素晴らしいステージでした。

おふたりの出会いは、小谷さん高校生のころ。小谷さんをデビューさせてくれた阿部登さんの紹介で、出会ってすぐに友部さんの前で歌を披露し、ライブじゃ全然緊張しないけれど、さすがにあのときは足が震えたと小谷談。親のように慕っていた阿部さんが昨年他界し、生前「美紗子が歌ったら、いいのに」とおっしゃっていたという早川義男さんの『この世で一番キレイなもの』をカヴァーしてくれた。小谷さんの特徴のある声が生かされる曲。「この2マンライブも、阿部さんが天国で喜んでいると思う」と。

  1. 街灯の下で
  2. The stone
  3. 自分(
  4. Gnu
  5. 明日からではなく
  6. 儚い紫陽花
  7. この世で一番キレイなもの
  8. 新曲
  9. 手紙(
  10. 友部さんのアンコールのときに二人で『奇跡の果実』

自分』『Gnu』『明日からではなく』は小谷さんの曲のなかでも際立って胸に刺さる歌詞ですが、震災後の、原発事故後の、この混乱のなか、とくに安全な場所にいる人たちの無責任とも受け取れる言動に踊らされ、また自分でも知らずに加担してるかもしれない状況で聴くと、これは預言(予言じゃないよ)だなと思った。
だって“悲しいニュースを見て涙を流して 自分はあたたかいやつだと満足してる”“自分がすごいやつだと思わせるために 世界の問題について真剣に語る そんな姿に酔っているだけで 語るのは簡単だ 言うだけなら私にもできる”“誰もがそうだと結論づけて 最後の最後には世の中のせいにした”(『自分』より抜粋)だよ!?

地震のあと、1ヶ月以上小谷さんの曲が聴けなかった。あんなに正気の沙汰とは思えないほど繰り返し繰り返し、毎日毎日聴いていたのに、こんな強い言葉と音楽をとてもじゃないけど受け止める勇気がなかった。逃げているとわかっていても、どうしても怖かった。連休前だったか、このブログタイトルでもある『空が藍色になるまで』は片思いのみずみずしい感情を歌った曲なので、それを聴いた。震災後初オダニだった。*1そこからは一気に聴いた。やはり素晴らしい曲ばかりなんだもの。

で、新曲ですよ。小谷さんも身近な存在の阿部さんが亡くなり、3月には震災もあり、こういうつらいときこそ曲を作らなければ…と思いつつも、震災被害のあまりの大きさに言葉が出てこなかったそう。「どんな言葉も薄っぺらく感じた。誰かを励ませば、違う誰かを非難するような、そんな状況で、混乱していた。でも、やっとそういうごちゃごちゃしていた感情をなんとか歌にできた」と、この2、3日で仕上げたばかりという新曲を披露してくれたのだが、歌いだしが(以下うろ覚えなのでニュアンスだけ感じてください)“歌なんかそんなもの 今聴いたってしょうがない 大事な人が死んだら 隙間のない悲しみに 隙間だらけの言葉 倒れた町をすり抜けて ありふれて孤独を誘うばかり”ですよ!

「音楽はすばらしい」「音楽の力で勇気を!」なんて聞こえのいいことを、この人は絶対に言わないのだな、と思った。そして、そういう小谷さんの高潔さをわたしは心から尊敬している。でもこの曲は“ここにいてもいなくても 必ず会える あなたの創ったふるさとで”と、大切な人が亡くなったとしても、記憶は消えない、繋がりはつづくんだと結んでいます。包容力のある歌詞で、聴いてるだけで、いまあらためて書いてるだけで号泣してしまう。

最後はおなじみの『手紙』、これも名曲。小谷さんは感受性や正義感は人並みはずれた子どもだったろうと想像するけれど、でも家族の愛情や友達にも恵まれて、才能もあって、普通以上に幸せを受け取ってきた人だと思うのに、なぜにこんなに“失ってしまった”感情を理解できるんだろう。と小谷さんの曲を聴くたび思うんです。悲しみや痛みというものは、想像力で太刀打ちできるようものじゃないとわたしは思っていて、それは諦めだ!と断罪されればそれまでだけど、でも持ってるものが無くなるなんて、そうなってみないと判らない。どんなに想像して理解しようとしても、他人の痛み苦しみを、我が身に受けるように感じることはできない。相手を思う、寄り添う、そういう努力だけがいまだ失わずに持ち続ける人間にできることだと思うのに、わたしにそれができているのか省みると…消え入りたい。だから圧倒的な他者への思いやりのもとに創られている小谷さんの曲がわたしには必要。

*1:小谷美紗子はオダニミサコと読むのです