え、こだまの世界?

A day in the life of...?

丸山眞男の超国家主義…

丸山眞男超国家主義うんぬんを読んで衝撃をうけるかどうか試そうと思ふ。

第一節

国民精神の真の変革のためには、戦前・戦中にわれわれの心理を支配していた「超国家主義」思想の論理を解明する必要があるトルソ。

第二節

いかなる国民国家も、多かれ少なかれ「国家主義」的である。日本の場合に「超」がつくのは、量的な違いではなく、以下のような質的な違い。
ヨーロッパ近代国家の特徴は、特定の信仰や道徳や真理等、いかなる「内容的価値」にもコミットせず、公的秩序の保持に徹するという中立性。日本ではこの中立性の意義がついぞ理解されず、国家が内容的価値の独占的決定者でありつづけた。つまりは私的領域の完全なる欠如。

第三節

国家権力は本質的に倫理的であり、国家は不正をなしえない。また、国家権力と同一化した官吏も不正をなしえない。そこで、自己の反対者は直ちに国家に対する侵害者(⇒非国民)とみなされる。

第四節

軍隊をはじめ、各人が「縦に究極的権威への直結によって価値付けられている」ため、セクショナリズムが発生すると同時に、自由なる主体意識が希薄であるため責任の自覚がない。
上位の者が常に権威と権力をあわせもつため、上から下へ、上から下へ、と暴力や理不尽がまかり通る社会となる。

第五節

道徳の源泉である天皇の権威は、その無限に続く祖先に淵源がある。
こうして日本の世界政策が生まれた。「「天壌無窮」が価値の妥当範囲の絶えざる拡大を保障し、逆に「皇国武徳」の拡大が中心価値の絶対性を強めて行く」。
だが、敗戦によって国体が絶対性を喪失することにより、国民はこのようなヒエラルキーから解き放たれ、自由なる主体となった。

衝撃?

なるほど、積み上げ積み上げして、最後にあっけない終わりを迎えるところが、あっけない終戦を迎えた人々にとっては気持ちよかったのかもしれないな。
しかし、権威と権力が一緒であり、それに同一化した気になった人々が他の人々を抑圧するという構造は、本当に戦前・戦中の日本に特有だったのだろうか。
よくわからんのでこのぐらいにしてもう寝よう。