西脇順三郎「Ambarvalia」


またしても詩の話で恐縮だが、「ウェブでしか読めない西脇順三郎」というサイト?があって、そこに由良君美の書いた回想録が出ている。あまりにもベッタベタの讃辞なので読んでいて気恥ずかしくなってくるが、そういえばこの人は「みみずく英学塾」でも同じような西脇頌を書いていた。しかしこうまで褒め讃えられているのを見ると、私としてはがぜん反抗心が頭をもたげてくるのを如何ともしがたい。西脇ってほんとにそんなにすごいのか。学匠詩人なんてカッコつけてるだけではないのか。

とりあえず現物を読んでみたい、と思ったが、急に詩集を買うわけにもいかないので、手元のアンソロジー(日本現代詩大系)を見ると、抜粋版ではあるが「あむばるわりあ」が載っているのでそれを読んでみた。そんなにすごいのか、という期待とともに、どうせくだらん詩人だろう、という失望の予感をも併せもちつつ。

序盤はあまりぱっとしない印象。なんか下手くそな詩だなあ、これじゃ素人まるだしだよ、と思いつつ、「哀歌」にいたってラテン語の詩が出てくるのにちょっとびっくりする。初めは向うのラテン詩人の引用かと思ってネットで調べてみると、どうも西脇が自分で作った詩のようだ。うーむ、こりゃすごい、と思いつつあるページ(pdf)を見ると、このラテン語詩について「読むのが苦痛なほどひどい」と評があって、さらに文法も文体もめちゃくちゃであると酷評されている。

この評を見てから、なんだか「あむばるわりあ」がぐっと身近に感じられるようになった。やはり学匠詩人という金看板(?)にいささか気圧されていたらしい。そういう先入見を取り去ってこの詩集を読むと、意味不明の詩句や舌足らずな表現もさほど気にならなくなる。それどころか、そういうところに若き日の西脇順三郎の純朴かつ真摯な面影が伺えるような気がする。いずれにせよ、古今東西のトポスに霊感を求めながら、それらすべてを糾合して「いま、ここ」としかいいようのない詩的乾坤をつくりだし、それを「あんばるわりあ」という牧歌にまとめあげたのは見事というほかない。

もちろん「いま、ここ」といっても、それは西脇にとっての「いま、ここ」であって、私にとっては「かつての、そこ」なのだが、他人の書いた「かつての、そこ」を私自身の「いま、ここ」に重ね合せる以外に詩を読む便法があるとは思えないのである。