そもそも

前回の日記の続き↓

その分野の経験も知識もなく、東北での経験もネットワークも一からのスタートの自分の強みは、「埼玉からの派遣であること」というのが1つの結論です。例えば今東北で担当している仕事と同じような仕事を埼玉でしている方とのコンタクトも、「埼玉県からこちらに出向していて…」というと初対面の方であっても壁が少し低くなり関係の構築がしやすくなります。

それは別に埼玉の担当者に連絡をとるときだけのことでもなくて、複数の自治体の立場を同時に持っている、というのは私ならではの強みです。情報の共有がしやすくなり、比較がしやすくなり、それはよりよい制度への足がかりになるはず。
逆に言うとそれくらいしか自分の強みはないなぁ、というのが正直なところで、行動はそれなりにしているつもりですがつなぎ役としての役割はまだ果たせていないので、チャンスは逃さないようにしつつ、出会いを大切にして、1日1日を大事に過ごしていきたいと思います。

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災害時要援護者支援については、色々と考えてはいるのですが、ずぶの素人が1ヶ月考えて解決するなら誰も苦労はしないはずで。。素人なりに少しずつ見えてきたところもあるので、施策的な話については少し期間を置いてからもう少し突っ込んで書きたいところですが、ここでは究極的な結論を下記に少し。

こちらに来て役所の本庁で初めて働いてなおさら自覚するのですが、役所は民主主義の先鋒というか、そういうロジックで動く組織です。選挙に行って自分たちの代表を選んでその人を議会に送り込んで代理で物事を決めてもらって、と、もちろんこの国の誰もが民主主義のルールの中生きているといえばそうなのですが、役所は正にその先鋒です。どれだけ役所のことを知り尽くしていて誰より賢くて誰より長く役所にいる人が言うことよりも、選挙で選ばれた人たちが言うことのほうが圧倒的に大事だし、実際にそれが物事を決めていきます。

んでその役所は基本「縦」の理屈で動いていて、国が定めた制度を都道府県を通して市町村が実行する、という基本的な流れがあります。
※この「縦に物事が流れる文化」は以前にも実感を書いたように、
http://d.hatena.ne.jp/scoolforsaitama/20120616/1339860910
場面の大小問わず役所のあらゆるところをを貫く文化のように感じます。「権限委譲」「分権」は全然進んでいないんでないかという。

これがもう時代にそぐわないだろというのがあって道州制なりのシステムの組み替えの話があると思うのですが、私の力量だと現状のまずさは理解できていてもそれに代わるシステムは明確に提示できないためそれはそれとして、
今の立場(都道府県の一担当者)からしてできること、やるべきことなど考えてみると、やはり解決策は県という組織がその運営にあたって一番依っている「民主主義の原理」に立ち返るのがよいのかな、という気がするのです。

どういうことかというと、行政の仕事は困っている人を助けることだとすると、その困っている人「自身」が声を「自ら」あげ、行政に効果的に、スピーディにその声を届けられると一番早く物事は解決する。ということです。
例えば災害時要援護者の支援の枠組みがなかなか完成しない大きな一因として、守るべき彼ら彼女らの情報(どこに住んでいて、どんな支援が必要で、というような情報)がなかなか把握できない、ということがあります。そもそも災害時に自分たちを守るために個人情報などを一元管理して整理しておく制度があることを知らない、知っていても個人情報の扱いが怖いので預けたくない、など理由は色々とあるのですが、
私の立場からこの課題を解決しようとすると、やはりまず縦のラインで考えます。国が用意した制度を理解して、その理解をもとにいかに市町村に災害時要援護者情報の把握を進めてもらうため支援をするか、という思考で物事を進めようとします。

内部にいる人にとっては当たり前で違和感なく受け入れられる内容だと思いますが、普通の人は読んだだけでもまどろっこしく、間接的なアプローチだなぁと思われるのではないかと思います。制度をいじれないくせに何の支援ができるんだ君は、みたいな。

でこれがもう古いのではないか、と。

民主主義のそもそも論として、(日本の感覚として肌に合うのかは正直わからないのですが)やはり要援護者がひとりひとり自分に必要な条件を普段から整理しておく。いざというとき自分のところにどんな人が助けにきてくれなきゃいけなくて、自分にはどんな設備が必要で、自分にはどんな薬が必要なのかなどを把握して、近くの福祉避難所を探す。近くに自分に適当な指定福祉避難所がなければ行政に要望を出す。

上から下の流れで言うと、こういうニーズは選挙で選ばれた方々が拾ってきて、議会とかで質問に出たりしてそれで行政が動く、という流れで物事は動いていくと思うのですが、間接民主制のもと、もちろん全てのニーズが拾える訳ではありません。行政もニーズを拾う努力をしてないわけではありませんが、そもそも論として民主主義の枠組みで動く行政システムは「民意でもって動くこと」は保証しているけれど、「行政が全てのニーズを拾ってくれること」はもちろん「行政が「自ら」ニーズ発掘に動いてくれること」すら保証する枠組みではそもそもないと思うんです。

個人的な実感として、我々は外からのあーせよこーせよという声を嫌う傾向にあります。仕事が増えるからです、端的に言って。この結論的に言うと、市民のニーズを的確に吸い上げる仕組みこそ、行政がまともに機能していくために一番必要なものということになります。いや吸い上げるだと相変わらず上から下の流れ目線になっちゃうので、ニーズを送り届ける仕組みというかなんというか。

なんかもう究極的な結論ぽくて職務放棄にもつながりかねない思考ですが笑、ニーズを一番いい形で行政に伝えてもらえる環境づくりこそ求められている、ということになるかと思います。まぁ結局やるべきことは変わらないんですが、んで上に書いたことはすごい当たり前と言えば当たり前なのですが、よい頭の整理にはなったなぁと思います。